日常描写ストレンジ

日常描写ストレンジ

せいぜいが私小説。

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ずいぶん投稿わすれてましたが、
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今までと違ってあんまり小説とかはかかないです。更新頻度は高いと思うけど。
牌で語り合う感覚って何なんだろうか。

阿佐田哲也の小説やエッセイ読むと、そういう感覚があるって書いてあるんだけど、

俺には全然そう言うのがわからないんだ。

俺にとって麻雀やるっていうのは、将棋とかシミュレーションゲームやってるのに近い。

最短距離、最善手を探して打つってこと。

そしてノイズは切り捨てるってこと。

何をノイズ情報にするかって問題もあるんだけどさ。

それは俺が科学する麻雀って本を重要視したうえで麻雀をやっているからなのだろうな。

読みの技術は殆ど放棄して、自分が人より速く、高い手を作るってとこに重点を置いて打つ。

そういう麻雀をやれば語りは放棄されるのだろうな。

阿佐田哲也の時代には、コンピューターもなかったし、

データ解析は実現不可能だった。

皆効率の良くない麻雀をやっていた。

だからこそ、個性だとか、語り合いってのがあったのかもしれない。

あとはきっと慣れだね。慣れていれば場が見えて、経験によるいろいろなものが見えてきて

(それは間違っていると思うけど)それが語りにつながるのかもしれない。

あとはあれがあるかも。ゲームとして麻雀やるのは結構あるんだけど、

四人が四人、互いに悪くないなあと思っている対等な関係で打ったことが殆どないからなのかも。

先輩後輩ってのはどうにも不自然だし、だけど身近な友人に麻雀打つ奴が沢山いるわけでもないし。

麻雀だけの付き合いってのも悪くないと思うけど、それにはちょっと知りすぎている。

まあでも、なんだかんだ言っても楽しいゲームなんだ、麻雀は。

しかし15時間やって勝ち負けなしってどんなんだよ…。
俺は変人だとすらいわれない。
高校は変人の巣窟らしかった。確かにいろいろな人がいたけど。
でもそもそも普通の人間って何だよ思ったりする。
とりあえず普通の奴ってのは俺の遠くにしかいないんだ。
ぼんやりとした像を普通の人間と呼んでいるんだ。
それで、最近は不思議に思う。
なんでみんなそんな不自然、不自由に耐えながら生きてるのかを。
まあ、俺が特殊だっていうのはきっとあるんだと思うけど。
結局のところ読書体験が俺の常識を全ていったん引っぺがした。
そっからもう一度常識を身につけなおしたわけだ。有用なものだけ。
みんなだってそうすればいいのに。やりたいことをやればいいのに…。
そう思うけど実際、やりたいことない奴の方がきっと多いんだよね。
で、探そうって気にもなれないって場合どうしようもないのはともかくとして、
やりたいことを見つけたいって場合はどうすればいいんだろ。
どの道にも進めるような能力を見つけるってのはありだよね。

俺は人を変えたい。
どんな小説を書きたいかって言われれば、読んだ後皆が別の方向向いて考え出すような、
動きだすような、そんな小説。
医者だって同じようなところ、ないわけじゃないと思う。

だけど実際わからないんだ。同じ文章読んだって拒絶する連中がいる
同じ文章読んだって何も感じない奴がいる。
それは何を意味するんだろうか?
人それぞれ違うって?
それは間違ってはいないけど、答えじゃない。
それはわかっているんだ。
三股かけてたんだけどユミもリエもキョウコ誕生日俺と一緒にどうしても過ごしたいって言う。断ったらみんな離れちゃいそうで、だからうちでパーティーしようよって言った。俺が準備とかやっておくよと言うとみんな怪訝な顔した。
そりゃそうだ、いっつも俺は任せきりにしていたのだ。
なぜって俺が怠け者でプライドがないからだ。浮気されても気にしない。他の男の話も右から左。大切なのは繰り返すこと。そうすればどんなことでも慣れる…。
人の考えをどうやって変える?

いったいそれにはどんな手段がある?