数年前に一世を風靡した究極の掃除術、断捨離。

片付け下手なダメダメな人達は、そのリスクも考えずに猫も杓子も断捨離に飛びついたものです。
私もしっかりとその一人でした。(´・_・`)
とあるSNSの断捨離コミュにも参加するほど入れ込んでいました。

こう言うコミュでは「断捨離したもの」「断捨離できなかったもの」などのありきたりなスレが立つのですが、それなりに楽しかったです。

しかし、ブームと言うのはピークに達してしばらくすると飽きられるもので、そこへ斬新な意見がでると皆が飛びつく傾向になります。
そこのろ、誰だったか「人間関係の断捨離を考える」と言う衝撃的な説を出した人がいました。

おそらく、最初にその説を説いた人は「煩わしい人間関係に振り回されず、自分らしく生活する」と言う事だったと思います。
例えば、行きたくもない飲み会に無理矢理参加したり、聞きたくもない悪口を聞かされるような場所に情に流されて自ら出かけるな、と言う事がその真意に近いものだと思います。

そのコミュで「この説、どう思います?」と余計なスレを立てた人がいたのです。

そろそろ断捨離に飽きてきた人達は、大喜びでこのスレに書き込みを連ねました。
その内容はまともなものもありましたが、たちまち気分の悪い書き込みでいっぱいになりました。

「職場で嫌な女性がいるけど今日から無視する事にしました」
「イヤミな上司の挨拶を無視したらぽかんとした顔をされ、すっきりしました」
「文句ばっかり言う旦那の弁当を作らない事にしました」
「姑に嫌なものは嫌だとはっきり言えてすっきりしました」

これでは悪口の掃き溜めです。一体、断捨離と何の関係があるのでしょう?

私は見るに見かねて「断捨離を都合良く解釈して人の悪口を言ってるに過ぎない」と、例のごとく辛口で発言してしまいました。私の悪い癖です。
すると、私の意見に賛同する人と反対する人に別れてしばらく大論争になりました。
結局「ここを見て気分が悪くなる人は見なければ良い」「正論はいらない、こういう人達こそ断捨離するべき」と言う事になりました。

私はバカバカしくなってこのコミュを脱退しました。
ついでに断捨離に飛びつく人間にはろくな人がいない、元々整理能力もないんだからと言う偏見まで持ち、断捨離自体をやめてしまいました。

自分の中の思い込みというのは、恐ろしいものです。
そして、都合のいいように考えて行く経緯も恐いです。
誰かが軌道修正しようと反論しても、聞く耳を持たない、自分のしたいようにする、心地いい方に流れて行きたい、と言うのは誰にでもある事だと思います。

自分のしたいようにする=自分の心に素直になる
あなたは自分の復縁願望を良い方向の言葉に置き換えてないですか?

真の断捨離は整理能力のない人には難しいテクニックである事を痛感しました。
真の断捨離は、情を捨てて自分への甘えを捨て、合理的に無駄を省き、家の中をスッキリさせる。
こんな素晴らしい事ができる能力があれば、そもそも家が散らかるはずはないのです。

私はその事を理解しながらも、先日、掃除に行き詰まって家の一部を断捨離しました。
案の定、リスクはありましたが、部屋を奇麗にする目的は達成できたので満足しています。
しかし、この後、本当に自分がしっかりして掃除をマメにしないとまた断捨離でリスクを負う事になるのです。

復縁活動も断捨離と似ているな、と思います。
というか、真の断捨離の精神が必要だな、と思っています。
情を捨てて自分への甘えを捨てる。
相手の事を「好きだ好きだ」と思う気持ちだけでは、まともな復縁活動はできないのです。

自分の心に素直になって、復縁活動を考えている人は要注意。
どうしても自己中心的になるからです。
「正論はいらない、私は好きだから復縁を諦めないんだ!」

確かに世の中、正論ばかりが正しい事じゃないです。
ならば、その正論でない考えは本当に間違っていないと言えるんでしょうか?
正論よりももっと上等な考え方なのでしょうか?
そちらの意見を取る方がリスクも高く、高度で、能力の低い人には危険なのです。

そう言う事を主張している復縁希望者を見ていると、時々、あの断捨離コミュの事を思い出してしまいます。

素晴らしい意見やアイディアも、ゴミ溜めの精神の中で使うと凶器になる事を忘れないで下さい。