※超個人的な、長〜い独り言です。。ただ、書き留めておきたかっただけで、誰も興味無い内容と思われますが、読みたい方はどうぞ。




新年、1回目のblogは、私が特別に大好きだったおばあちゃんの話。


今年は辰年。7年前に他界したおばあちゃんの干支ということもあり。


拡張型心筋症と狭心症を患っていたけど、最期はそれとは関係なさそう、と聞いている。


祖母の生前は私の病気も発覚してなかったから、いま、孫が同じ心筋症という名の病名が付いていることを知ったら、どう思って、どんな言葉をかけてくれたのかな。。


おばあちゃん、弱音を吐かないし、人に甘えない人だったけど、やっぱり自分の病気のこと、怖かったんだろうか。。


寒いせいか、私もたまに左胸に何となく違和感を感じることがあって、多少そのくらいあるか、、と気にせず過ごしたいんだけど、嫌だな〜と不安にはなるよね…



こういう長期休みになると、子供の頃を思い出す。

祖父母の家に帰省して、私にとってはそこがパラダイスだったから、帰る時は別れ難くてよく泣いていた。


母曰く、昔は短気でいつも機嫌が悪かったと言っていたけど、その時代のことを知らない私にとっては、優しくて、美味しいご飯を作ってくれて、お風呂に入れてくれて、好きなお菓子を買ってくれて、おばあちゃんの匂いがする温かい布団で一緒で眠らせてくれた、大好きな特別な存在だった。(祖父のことも好きだったけど、なぜか一緒に寝た事はない)



おばあちゃんの心臓が悪くなってからは、毎年GW辺りは、季節の変わり目のせいか、いつも調子が悪そうだった。


それでもペースメーカーを入れてからは安定していたし、お肉もバクバク食べてたし、自分の身の回りのことも全部自分で出来てたし、娘とも遊んでくれた。だから、もっと長生きすると思っていたのに。



2017年5月、たまたま私は、夫の仕事の関係で2週間ほど、数組の家族で海外に滞在中だった。



その時も、怠いと言って布団で横たわっていた祖母が、父にアイスクリームが食べたいから持ってきて欲しいと言うので、寝床にバニラアイスを置いてあげたのが最期。そのアイスが食べられることはなく、数時間後、眠るように息を引き取っていた。低血糖だった、らしい。



私は、死に目には会えなかった。



異国の地で、母から「気付いたらすぐに電話して」という一言だけのメールを見た時、察しが付いた。色々事情もあってすぐに帰国出来ず、その間に全てのことが終わり、最期のお別れも出来ないと分かると、私は滞在中のホテルの部屋で、1人で声を出して泣いた。


もっと沢山おばあちゃん孝行したかったし、色々話をしたかったし、娘の成長を見ていて欲しかったのに。


帰国して実家にすぐ戻ると、いつもなら気配を感じてゆっくり部屋から「あいちゃん、お帰り。」と嬉しそうに顔を出してくれたおばあちゃんの姿はもう無く、部屋には遺影と骨壷、お供え物が置かれた祭壇があった。本当に居なくなってしまったことを実感させた。


おばあちゃんに対して色々やり残した感と、荼毘にふす瞬間立ち会えなかったから、私の中では未だにちゃんとお別れが出来ていない。


おばあちゃんが亡くなる少し前に、突然私にくれた、35年間大事にしてたパンダのぬいぐるみと、実家の近所にあったファッションセンターしま◯らで私に買ってくれたノースリーブの花柄のトップス、どんなに断捨離を繰り返しても、その2つだけは絶対に捨てられずに、お守りとして一生取っておくつもりでいる。



終わり