一週間以上経ってしまいましたが、
東日本大震災から6年が経ちました。
まだ6年なのか、もう6年なのか人それぞれでしょうけれど、
被災された方々のすべてが笑顔になれるようにと思っています。
私は被災地に行って何かしたりすることが出来ていませんが、
この日のことを忘れないことを決めています。
言葉の力って凄いものだといつも感じています。
今日はお彼岸なので母のお墓参りに行って来ました。
最初、父と私だけの予定でしたが、兄の都合がつき兄も一緒に行きました。
残念ながら弟は仕事で来れませんでした。
来月になると、母の命日が来て
そして、10年となります。
長いという感覚も、短いという感覚もあるけれど、
時が止まった感覚もあるのです。
母がいない淋しさも悲しさもまだ強くあって、
だけど、それだけじゃ前に進めないから
「見守っていてね。」と、墓前に手を合わせました。
その帰りにふと思いました。
母は闘病中に弱音をあまり吐きませんでした。
弱音を吐いてしまったら、その通りになってしまうからだと言っていました。
そんな母に私は「大丈夫だよ。」としか言えなかったかと思います。
母はきっとよくなるから大丈夫と言う意味と、自分自身に母は大丈夫だと言い聞かせていたような気がします。
母は、そう言われてどう思ったのだろうか?
生前、母が遺した日記があります。
その中には病状について坦々と書かれている言葉もあれば、感情の溢れている言葉もありました。
相手の気持ちの全てを理解することは難しいことだと思います。
自分の気持ちを全て相手に伝えたとしても、そのすべてが伝わるのかも難しいこと。
私自身、言葉で傷付けられたこともあります。
そして知らない内に言葉で誰かを傷付けてしまったこともあるかもしれません。
言ってはいけない言葉、やってはいけない行動があるように
私はどれだけのことが出来ているのか?と思いました。
かなり前に私自身が傷付いたとき、無理して笑ってしまったことがあります。
本当はその言葉に酷く深く傷付いているのに。
それを相手に理解してもらえなかったせいで、より辛いことがありました。
もしも、あの時に「傷付いた」と言っていれば、何か変わったのか?それとも変わらなかったのかは分かりません。
その出来事のせいで、今もたまに嫌なことが起きているのが事実です。
「言霊」が存在すると思うので、私はまた自分自身に「大丈夫だよ。」って言い聞かせていきたいと思います。
ちょっと押しつけがましい内容になりましたが、
今、どうしても書いておきたいことでした。
読んでくださった皆様に感謝を伝えたいと思います。
Aico