お久しぶりの投稿になりました、
あいちゅんです🦋✨




最近はライブもちょっとずつ増えてきて
もっとやりたいことがあったりして
素敵な日々を送っています。

そんな今日、3月11日は忘れることはない日で
Twitterとかで何度か言ってたりしたけど
東日本大震災からちょうど10年経ちました。

かなり長くなるかなと思いますが
思い出すのが辛い方はご自身の判断で
読んでください。

✎︎____________

まず、私は宮城県出身で
南三陸町(旧志津川)という所に住んでいました。
家族構成はお父さん、お母さん、お兄ちゃん2人、弟で2番目のお兄ちゃんはそのときもう仙台に住んでいました。

当時は中学2年生で卒業式の準備を
みんなでしていたんだけど
突然揺れ始めて少し落ち着いたところで
今度はもっと強くなって
やっと揺れがおさまった頃に外に避難して
学校に残ってる人の無事を確認して
また教室に戻りました。

そのあとからが本当に残酷で
学校は高台に基本あって避難所になっていたから
町も海も全部みえるんだけど
地震がおさまったあと雪が降ってきて
雪だよー!なんて
みんなで気を紛らわしてたんだけど
学校に向かって多くの車が走ってくる中
遠くから迫ってくる波も見えて
ずっと見ていられなかったし家族は大丈夫なのか
本当に本当に心配でした。

その日のうちに家族に会える人もいたけど
私は会えずに夜をみんなで教室で過ごしました。

次の日になって友達と教室で過ごしていて
迎えが来て帰っていく子たちもいる中で
時計も止まってるし何時かはわからないけど
お母さんが迎えに来てくれました。

お母さんは仕事からちょうど帰ってきた時に
地震がきてパニックになってしまっていたけど
家にいたお兄ちゃんが冷静でまだ5歳だった弟の
保育所に先に行って裏の山道を歩いて小学校に
避難していたそうです。

中学校からも山道を通って小学校に行けたので
その話を歩きながらお母さんに聞いて
小学校について遊んでいる弟の顔見れて
お兄ちゃんも無事で元気そうで
本当に安心したのをすごい覚えてます。

自衛隊の方もたくさん動いてくれていて
布団があったり食べ物も少ないけどあったり
最低限過ごせる環境でした。

中学校から小学校に避難してきた友達と
また再会して話したり弟と遊んだりして
過ごしていてトイレに行こうとおもって
向かおうとした時に後ろから名前を呼ばれて
振り返ったらそこにはお父さんがいて
トイレ行くことすら忘れて走って
お母さんを呼びに戻って全員再会出来たことに
感動しかなかったです。

お父さんは海の近くで漁業関係のお仕事をしてて
地震が来た時はトラックで一時避難をして
歩いて3時間強の実家まで歩き
また同じくらいの時間をかけて
小学校まで来たそうです。
お父さんの実家はギリギリ津波を逃れてました。

家族のありがたみを痛感する瞬間でした。

そのあと少ししてからお父さんのお兄さんが
車で迎えに来てくれてお父さんの実家に行って
2~3ヶ月くらい過ごしました。
近くの中学校に少しだけでも行けたり
弟も小学1年生になって入学式をできたり
環境が変化しても変わることなく過ごせました。

そして、関東に来ることになったのですが
お父さんの友人が関東で会社経営をしていて
よかったら、、、ってことで
先にお父さんとお兄ちゃんが関東に行き
しばらく過ごして生活が落ち着いた頃
私とお母さんと弟も関東に来ました。

一時的な別れではあるけどあの時泣いていた
お母さんの涙は忘れられない記憶。

お父さんの友人家族のおかげで中学校も行けたし
高校も専門も行きたいところ行かせてもらって
今もこうして過ごせています。

結構衝撃的すぎて当時の話は曖昧な部分も
詳しく書いてない部分もあるけど
東日本大震災は本当に辛かったし
大好きな町も家も全部なくなってしまったけど
新しく生まれ変わって行ってるように
自分は自分なりに頑張っているし
震災がなかったら出会えてない人もいただろうし
ステージに立つことも絶対考えなかったけど
好きな歌でダンスでみんなを笑顔にできるように
これからも頑張っていきたいなって思います!


ちなみに、仙台にいるお兄ちゃんも元気です!
今度結婚するんだっておめでとう💖


そしてあいちゅんにこの10年で出逢ってくれた
みんな本当に本当にありがとう✨
自分の中でまだまだ目標達成はしてないので
進み続けます!!!よかったらついてきてね!!


気が抜けない日々も
いつか乗り越えられるように!


読んでくれてありがとうございました。


✎*。あいちゅん照れ