あさたび城たびin兵庫 【1泊2日で見る!たっぷり国宝・姫路城】 ⑨
宿泊先のヴィアイン姫路さんは、朝食が無料でついてきます。パンの種類も豊富で、サイズも小さめなのが嬉しいですよね!!
おにぎりやお味噌汁、サラダ、フルーツと……どれも食べたかったけど、やっぱり全種類は無理でした(笑)
美味しい朝食で、元気満タン✩
手荷物も帰りまで預かってもらったので、今日も手ぶらで姫路二日目を楽しみたいと思います(‐^▽^‐)
まず朝一番で向かったのは、御着(ごちゃく)駅。姫路駅から1駅で3分ほどで着きます。
駅を降りたら、案内看板もあり、旧山陽道を通りながら迷うことなく15分ほどで御着城跡に到着できました。
御着城とセットにしたい史跡がいくつかありますので、紹介したいと思います。
まずは上の御着城案内図の左下の青丸である小寺大明神。
現地案内看板によると、この地は1519年に小寺政隆が築城したと言われる御着城の本丸跡に位置しています。
そして、御着城の城主であった小寺一族と御着城に関する人々をお祀りしてありまます。
写真右の石碑。
天川城址
小寺城(主)
奥都城
とひとつの石碑に3つのお城ワードが!!!
メインの本丸部分と伝わる場所は、現在は公園として整備され、お城チックな姫路市東出張所が建てられています。
お城跡の雰囲気を壊さないので嬉しいケド、建物の中が資料館なら言うことなしですね✩
久しぶりにお仕事しました(笑)!
身長150センチの私。
この身長を活かして、お城巡り取材中は、堀や土塁、時には石碑などの大きさ表現をしています。
この写真からだと、現在の御着城本丸部分の高さは130センチくらいでしょうか……
大明神のある所と、本丸部分(↑写真)の高低差で、
当時の様子を思い浮かべることができました*:・( ̄∀ ̄)・:*:
黒田官兵衛ゆかりの【目薬の木】(↑写真)もありました!!
官兵衛は目薬を作って売り、財を成したと司馬遼太郎の物語で書かれていることから、目薬の木は官兵衛ゆかりの木になったみたいですね。
三つ目の見所は、本丸部分奥にある黒田家廟所(↑写真)
この墓所には、黒田孝高(官兵衛)の祖母・重隆(しげたか)と生母ば祀られています。
黒田家は、御着城主・小寺家の家老で、重隆の時から姫路城を守り、姫路城主となりました。
姫路城主は重隆の子・職隆(もとたか)、孫の孝高(官兵衛)とついで、1580年には秀吉に譲り、職隆と孝高は、国府山城(妻鹿)に移りました。職隆の墓所は妻鹿にあります。
のちに黒田家は筑前福岡の城主となったので、どちらの墓所でも地元では「チクゼンサン」と呼んでいるそうです。
ちなみにこの墓所は1802年に資材を九州から運んできて造られ、昭和56年に姫路市指定史跡となりました。
最後の見所は、天川橋(↑写真)。
1828年、姫路藩が天川に架橋した太鼓橋。
(全長26.6メートル)
昭和47年9月9日に中央部が崩れたので撤去し、昭和53年10月に現在の地に移設保存されました。
御着城へのアクセスは、姫路駅一区間3分ほどで、現地までゆっくり歩いても15分。1時間ほど周辺を散策して、姫路駅に戻ってきても2時間もあれば十分ですので、姫路城に行くなら、セットで訪れてみてはいかがでしょうか(*^o^*)
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