上宮寺(じょうぐうじ)
お城ではなく『お寺』ですが、この上宮寺は三河一向一揆の際、
『本證寺(ほんしょうじ)』
『勝鬘寺(まんしょうじ)』
とともに、一揆方のとして、家康方に対抗した拠点です。
ちなみに【矢作町誌】には『佐々木城』との記載もあります。
桶狭間合戦後、今川方から独立した元康(家康)は三河統一を進めますが、もともと三河一向宗三ヵ寺には『守護不入』という特権が許されていました。
これが三河統一の障害となる事を感じた家康は、これらの宗教勢力と戦うことを決意しました。これが三河一向一揆です。
緒戦は一揆方が優勢だったものの、次第に家康方に盛り返され、大将・矢田作十郎は討ち死に、遂には降伏。上宮寺は破却されました。
三河一向一揆の拠点となったお寺ですが、昭和六十三年八月に失火で消滅、その後再建されましたが、とても近代的になっています。
遺構としては、お寺の裏に土塁のような土盛がありましたが、近代盛られたようにも思えます。
所在地 |
岡崎市上佐々木町字梅ノ木 |
立地 | 平城 |
築城時期 | ? |
築城者 | ? |
主な城主 | ? |
現状 | 上宮寺 |
地図 |
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