浅野屋敷(あさのやしき)
弓頭として織田氏に仕えた、浅野氏の屋敷跡です。
当主・浅野長勝には子がおらず、養子・養女をもらっています。
しかしこの子達が、後に歴史に名を残す有名人なのです。
まず、養子の長政は秀吉に仕え、後の豊臣家五奉行となり、その息子・幸長は関ヶ原合戦後に紀伊和歌山城主、そして弟・長晟(ながあきら)は、大阪の陣後、安芸広島四十二万六千石の大名になりました。
そして養女・おねは木下藤吉郎秀吉に嫁ぎ、秀吉が関白就任後・『北政所』となり、出家して『高台院』と号しました。
浅野長政、そして秀吉の妻『おね』の養父であった、浅野長勝の屋敷跡は、長光寺の南にあったと伝わります。
現在、長光寺の南の民家の片隅に、浅野氏の屋敷跡だった事を記載してある石碑を発見!
しかし記録によると、屋敷跡は東海道本線の開通に伴い、分断されてしまったとのことです。
>>>詳細はこちら⇒浅野屋敷
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