先日、不意に思い出したのだが、社会人になって数年したとき、オリベッティのタイプライターを買った。結構な値段がしたと記憶しているが、当時何故かそれが流行っていて、流行に乗り買ってみたものの、あまり使ったという記憶は無く、そのうちにどこかに行ってしまった。
若い人はタイプライターと言っても分からないかもしれないが、キーを叩くと針金のような金属の棒の先にアルファベットの文字が付いていて、これが紙に当たり文字が写る仕組みになっている。始めキーの配置は文字を打ちやすいようにしたらしいが、早く打つと針金が絡み壊れてしまったので、文字を打ちにくい配置にしたと言うことである。これが、そのまま現代のキーボードの配置となった。
高校生くらいの時に、フォークソングが流行、ギターを買ったが、弾いてみたところ、弦のピアノ線が指に痛くてすぐにやめてしまった。その後、どこかにいってしまった。
また、小学生の頃には切手の収集が流行り、切手の収集帳にかなり集めたが、そのうちに興味が無くなり、これもどこかにいってしまった。
さらに記憶を辿ると小学校の低学年の時、どうしてか般若のお面のキーホルダーのような小さい物を持っており、これをマッチ箱に綿を敷き、それに入れて大切にしていたが、これもどこかに行ってしまった。
修学旅行の引率で長崎を訪れたとき、グラバー園に行く途中にある”コルベ館”を偶然見つけました。コルベ館はコルベ神父を記念する建物です。コルベ神父はアウシュビッツ強制収容所で身代わりとなり殉教し聖人となった人です。
コルベ神父は一時、長崎にいて布教活動をしていました。彼がアウシュビッツ強制収容所に収容されていたとき、脱走を企てた者があり、その見せしめにドイツ軍は何人かの人を独房に送ることにし、その中の一人の人の身代わりになりました。
冷たい独房で水も食料も無く、ただ死を待つだけの状況で、コルベ神父は祈りと聖歌で他の人を励まし続けました。一人また一人と死んでいく中、彼は最後まで他の人を励まし続け中々死なないのでついに注射で殺されたと言うことです。
このコルベ館で”ルルドの水”を売っており、それを買ったのですが、フランスにある”ルルドの泉”は奇跡の泉としてカトリックの巡礼地になっている所です。
そこの水を購入し、大切にしていたのですが、知らないうちに無くなってしまいました。
質量保存の法則を持ち出すまでも無く、タイプライターやギターなどある程度大きな物体が忽然と消えたり現れたりすることは考えられない。これらの無くなった物はぞんざいに扱ったのでは無く、逆に大切にしていてどこかにしまい忘れたものである。
これまでに二度ほど引っ越しをしているので、その間に無くなったように思われる。
次の話はこれとは異なるが、私がA高校に勤めていたとき、地下鉄の駅から学校まで、坂道を20~30分程歩いて通っていました。自転車があれば楽なのにとずっと思ってたのですが、そんなとき不要品の回収場所に古い自転車が廃棄されているのを見つけました。何という偶然と自転車を手に入れ、持ち主の人にも連絡し使う許可をもらいました。
その自転車を手に入れてから色々とラッキーなことが続きました。かなり古い自転車ですが多段変速のしっかりした自転車でした。
しかし、一年ほどした頃、広告で一万円ほどで新しい自転車が学校の近くの自転車屋さんで売られていることを知り、古い自転車を引き取ってもらい、新しい自転車を購入しました。その後、色々トラブルが起こり、次の年は更新してもらえず、A高校を去ることになりました。
この古い自転車は私にとってラッキーアイテムの様な物だったのですが、失って始めて分かりました。これはエピメテウスのような後知恵であり、プロメテウスのような先見の明が無い自分の愚かさを知る出来事でした。