狂牛病(BSE)と言っても若い人は分からないと思いますが、2001年位から2010年位まで、世間を騒がせた病気のことです。

 最初は1986年にイギリスの牛で確認されたとのことですが、その前に羊のスクレーピーと言う病気が知られていました。牛は草食性で肉は食べませんが、牛を飼っている農家は羊の肉骨粉を餌に混ぜると、乳の出が良くなったり、生育が良くなるので、これを使用していました。

 狂牛病の解明はしっかりは分かってはいないようですが、「プリオン」と呼ばれるタンパク質が原因とされています。原因はタンパク質なので、細菌やウイルスのように,熱を加えれば死ぬというものではなく、このタンパク質が蓄積すると脳が海綿のようになり、やがて死を迎えることになります。

 2001年に千葉県の牛でBSEが確認され、2005年にアメリカからの牛肉の輸入が禁止されました。

 現在ではBSEは過去の事件ですが、私の言いたいことは養殖にしろ、飼育にしろ関係する業者や個人は利益を求める余り、私たちの知らないことを行っている可能性があると言うことです。私たちが毎日、口にしている食品は本当に安全なのでしょうか。

 

 

 

 以前も書きましたが、植物は独立栄養で、動物は従属栄養です。つまり、植物は日光と二酸化炭素と水があれば生きていけますが、動物は他の生き物(植物か動物)を食べなければ生きていけません。

 我々が食べたものは体を作る材料となると共に、我々が活動するエネルギーとなります。

 従って何を食べるかはとても重要な事と言えます。いい加減な欠陥レンガで家を建てれば、何かあればすぐ崩れてしまう様に、いい加減な食材の食事をしていれば、体に不調を来すことは誰でも分かると思います。

 いい加減な食材というのは一般に ”ジャンクフード” と言われる物ですが、ここで特に気をつけなければいけないのは糖分です。甘い物は、ついつい食べ過ぎてしまいますが気を付けないといけません。

 かなり以前ですが、イギリスで非行少女の食生活について調べた調査があります。彼女たちは新鮮な肉や野菜ではなく、ジャンクフードや甘味料の多い飲み物を多く取っていました。

 そこで、彼女たちの食生活を新鮮な肉や野菜・果物、漂白していない全粒粉のパン等に変えたところ、性格も行動を変わったと言うことです。

 脳は贅沢な器官で食べた物の約20%を消費します。しかも、ブドウ糖が唯一のエネルギー源であるので、私たちは甘い物を欲しているのです。特に、頭を使ったときには甘い物が欲しくなります。

 しかし、ブドウ糖はガン細胞のエネルギー源でもあり、糖分の摂取はガン細胞に栄養を与えていることにもなります。

 

 新鮮な肉と言っても、現代では動物を狭い所に囲い、肉を取る為に飼育したり、養殖したりします。資源の確保のために、これは良いことだと考えられています。上の写真は精肉工場の吊されている肉の写真です。

 昔、『猿の惑星』という映画がありましたが、猿が高度に進化をして、地球の支配者になっています。そこでは人間と猿の立場が逆になっているわけですが、例えば、爬虫類が進化をし、人間を家畜化し、狭い所で飼育し、病気にならないよう抗生物質入りの食料を与え、雄は子供の頃に肉にし、雌はしっかり太らせて、上の写真のように肉にされ吊されると想像してください。

 ただ、肉を取るためだけに生かされている、動物の飼育や養殖はそういうことではないでしょうか?

 

 道元禅師は食事を大切にし、我々は生き物の命を頂いて生かされているので、それに値する生き方をしなければならないと教えています。

 現代の生活はどうでしょうか?飽食の時代と言われ、食べ物を粗末にし、多くの命が廃棄物として捨てられています。テレビを見ても安直に食の番組が多く見受けられます。何か間違っているように思われます。

 

 高校生の頃から、フケが出るようになり、皮膚科に行って薬を付けたりしましたが、中々治りませんでした。結婚してしばらくしたとき、妻に牛乳のアレルギーではと言われ、牛乳をやめましたら、フケが出なくなりました。牛乳は牛の乳であり、人の乳ではありません。国も牛乳は良い栄養食品として勧めていますが、私のように体質に合わない人もいると言うことです。

 

 始めにも書きましたように食品は我々の体を作り、活動のエネルギーとなる大切なものです。自分の体に聞いて本当に必要な物を取るようにしたいものです。

 

 

 

  

 先日、不意に思い出したのだが、社会人になって数年したとき、オリベッティのタイプライターを買った。結構な値段がしたと記憶しているが、当時何故かそれが流行っていて、流行に乗り買ってみたものの、あまり使ったという記憶は無く、そのうちにどこかに行ってしまった。若い人はタイプライターと言っても分からないかもしれないが、キーを叩くと針金のような金属の棒の先にアルファベットの文字が付いていて、これが紙に当たり文字が写る仕組みになっている。始めキーの配置は文字を打ちやすいようにしたらしいが、早く打つと針金が絡み壊れてしまったので、文字を打ちにくい配置にしたと言うことである。これが、そのまま現代のキーボードの配置となった。

 高校生くらいの時に、フォークソングが流行、ギターを買ったが、弾いてみたところ、弦のピアノ線が指に痛くてすぐにやめてしまった。その後、どこかにいってしまった。

 また、小学生の頃には切手の収集が流行り、切手の収集帳にかなり集めたが、そのうちに興味が無くなり、これもどこかにいってしまった。

 さらに記憶を辿ると小学校の低学年の時、どうしてか般若のお面のキーホルダーのような小さい物を持っており、これをマッチ箱に綿を敷き、それに入れて大切にしていたが、これもどこかに行ってしまった。

 

 修学旅行の引率で長崎を訪れたとき、グラバー園に行く途中にある”コルベ館”を偶然見つけました。コルベ館はコルベ神父を記念する建物です。コルベ神父はアウシュビッツ強制収容所で身代わりとなり殉教し聖人となった人です。

 コルベ神父は一時、長崎にいて布教活動をしていました。彼がアウシュビッツ強制収容所に収容されていたとき、脱走を企てた者があり、その見せしめにドイツ軍は何人かの人を独房に送ることにし、その中の一人の人の身代わりになりました。

 冷たい独房で水も食料も無く、ただ死を待つだけの状況で、コルベ神父は祈りと聖歌で他の人を励まし続けました。一人また一人と死んでいく中、彼は最後まで他の人を励まし続け中々死なないのでついに注射で殺されたと言うことです。

 このコルベ館で”ルルドの水”を売っており、それを買ったのですが、フランスにある”ルルドの泉”は奇跡の泉としてカトリックの巡礼地になっている所です。

 そこの水を購入し、大切にしていたのですが、知らないうちに無くなってしまいました。

 質量保存の法則を持ち出すまでも無く、タイプライターやギターなどある程度大きな物体が忽然と消えたり現れたりすることは考えられない。これらの無くなった物はぞんざいに扱ったのでは無く、逆に大切にしていてどこかにしまい忘れたものである。

 これまでに二度ほど引っ越しをしているので、その間に無くなったように思われる。

 

 次の話はこれとは異なるが、私がA高校に勤めていたとき、地下鉄の駅から学校まで、坂道を20~30分程歩いて通っていました。自転車があれば楽なのにとずっと思ってたのですが、そんなとき不要品の回収場所に古い自転車が廃棄されているのを見つけました。何という偶然と自転車を手に入れ、持ち主の人にも連絡し使う許可をもらいました。

 その自転車を手に入れてから色々とラッキーなことが続きました。かなり古い自転車ですが多段変速のしっかりした自転車でした。

 しかし、一年ほどした頃、広告で一万円ほどで新しい自転車が学校の近くの自転車屋さんで売られていることを知り、古い自転車を引き取ってもらい、新しい自転車を購入しました。その後、色々トラブルが起こり、次の年は更新してもらえず、A高校を去ることになりました。

 この古い自転車は私にとってラッキーアイテムの様な物だったのですが、失って始めて分かりました。これはエピメテウスのような後知恵であり、プロメテウスのような先見の明が無い自分の愚かさを知る出来事でした。