出産を経て | 子宮頚がんの気持ち

子宮頚がんの気持ち

2016.12月 子宮頚がんと診断されました。
ただただ、少しずつ、記録や気持ちを綴っていけたらと思います。




今回のことで、なによりも良かったと思うのは、娘を産んでいたことです。


私は子宮を温存できる状態はすでに過ぎていたのですが、子宮、卵巣など丸々取られることは、女性である証のようなものを、根こそぎ奪われる感覚でした。

ですが、子供を産むことがなく病気になってしまった場合、その悲しみや辛さは計り知れません。

婦人科の病棟では、毎日夜になると奥さんを見舞う旦那さんを目にしました。休日になると子供達がやって来る。楽しそうな声が聞こえます。

それと同時に、いつも1人の患者さんもいて、訪ねてきた方も、お母様か親戚の方、という場合もあります。







女性にとって子宮や卵巣は、どういうものなんでしょうか。


以前ある国会議員が、女性は子供を産む機械と例え話をして問題になっていました。
例え話として分かりやすく話しただけで、それ以上の意味はないとしていますが、あまりにも思慮に欠けた言葉ではありませんか。

この方がどんなに立派な方であっても、人格者であれば、機械という例えは使わないはずです。このような方達が牛耳る日本は、いつまで経っても男性優位なんでしょうね。


今は晩婚やシングル、同性愛など多種多様な道を選べます。私は娘に、将来結婚しない選択をしても、生きていけるような仕事を見つけた方がいいと言っています。

少子化問題がある中、女性を産む産めないと例える前に、女性が安心して受けられる医療、さらなる子育て支援をお願いしたいです。








もう、子供は産めないけれど、子供を産まなくても、きっと私にはまだまだ役割がある。


そう信じて、生きていくのみです。