こんにちは音符

認知症の母を介護中のaichanです羊
とはいえ、仕事をしているため、土日だけの介護です虹
 

私の母は幼少期の頃からかなり苦労をしていました。

そんな母の人生を最初から書こうと思いました。

時々、少しずつニコニコ

書き残していきたいと思いますあしあと

前回のエピソードはこちら↓
         エピソード②



     ランドセルランドセルランドセルランドセルランドセルランドセルランドセル

3月10日

東京大空襲で、逃げ彷徨っているとき、隅田川に焼夷弾がプカプカと川に浮かんで流れていたのを覚えてると母は話してました。


火が川に入っても消えないことに不思議さを感じ、記憶に残ったようです。



結局、母達親子3人は近くの小学校に避難しましたランニング




緑国民小学校という母の通っていた小学校だったそうです学校
(ガラスのうさぎを書いた高木敏子さんと同じ学校でした)





が、すでに戸が閉められ入れなかったと手

でも、煙にむせたのか一人の女性が中から出てきて、それで戸が開いて入れ違いに自分達が中に入れたそうですびっくり



中に入って、階段下の陰に隠れるように座ってじっとしていたら、先程出た女性かと思われる人が、外からドンドンと戸を叩いたそうですアセアセ



しかし、中にいた方は「開けたらみんな死んでしまう」という思いからか、開けられなかったそうですえーん





しばらくすると、水が少し茶碗に入って回ってきたそうです。義母はそれを3人で少し飲んだあと、手ぬぐいか何かに水を含ませたそうです。


濡れた手ぬぐいを時々口に当てて息を楽にしていたと言ってました真顔



暗く、焼夷弾を落とす飛行機が飛ぶ音が響く中、母たちは息を潜めて一晩過ごしました。


朝になり、戸が開きました。


昨日、母と入れ違いに出た女性が入口付近の外で倒れて亡くなっていたそうです。



母は、
もし、この方が出てこなかったら、自分たちが死んでいたんだショボーン

学校がある場所にお参りに行きたいなあ…

と、よく言ってました。


「もし、母がそこで死んでいたら私も生まれてきてないなあ」
「よく、生き延びたなあ」

という私の思い笑い泣き


そして、次第に


母が戦争以来行けなかったその学校にもう一度連れて行ってあげたいプンプン!

お参りさせてあげたいプンプン!!



と、心の奥底に夢ができ、それは徐々に強くなっていくのでした照れ

…続くニコニコ



最後までお読み頂き、ありがとうございますラブラブ

連日のコロナのニュース。
イタリアが大変なことになっていますねガーン
日本は、もう少し自粛が続くのがやはり良いのでしょうか。
皆様、お気を付けてお過ごしください。