そんなこんなで新築の家へ済み、母も仕事をして家計を支える日々。

私はインコを買っていたのですが、寝るときにいつも籠を持って部屋に行き、一緒に寝ていました。

夜中に父が帰宅して、私もその喧嘩で起きてインコへ話しかけてという小学生時代

 

そのインコちゃんは、外に連れて行っても肩から飛ばずおとなしかったのである日母がそうしたときに強風が吹き、びっくりしたインコは飛んでしまったようです。でも外で飛んだことが初めてだったインコはパニック状態になりそのままその場へ落下

 

小さな命がその時に奪われてしまいました…。

 

それから母も心労もたまりうつ病へ。

いつも洗濯ものを畳みながら泣く母を見ていました。

 

私はそんな時「おかーさん、ため息ついたら幸せ逃げていくんだよ」と言ったらしいのです。

それから母は離婚という選択肢を視野に入れ始めたのですがまだ兄は高校生

兄と私を連れていくつもりだったのですが

思春期の兄は

「俺、この家が好きだからここに残りたい。ごはんも自分でやれるから大丈夫」と聞かなかったようです。

父の女遊びも止まることはなかったのですが

しょっちゅう家の近くでケーキを買って帰ってくるんです。

多い時は週に2,3回。そして一人2個計算で買ってくるので冷蔵庫にはケーキがたまる一方。

 

最初は母も「家族思いになってくれた」とおもっていたのですが、ある日家の途中に神社があるのですがその駐車場に父の車

たまたま母が気づくとなにやら電話をしていたようです。

 

あとからわかったのですが、父は自分がやましいことがあるとケーキを買ってきてご機嫌伺いをしていた様子。

ケーキを買い、帰宅する途中女への電話。女はスナックに出勤時間があるので何時に電話するとあらかじめ打ち合わせをしているのでその時間の電話は女が取るように前もって言っていたようです。

今の時代はLINEやメールがあるのでそんな打ち合わせは要らないけども、アナログな時代のやり方ですね。

大体毎日決まった時間になると父は10円や20円を持って家にいても公衆電話にいっていましたし。

やましいことがあるとケーキ そんな馬鹿な魂胆は母にばれ、また大ゲンカ。

 

会社も少しずつ従業員も増えて、小さいながらも経営をしていました。

母も会社として設立してからは、経理を担当し専業主婦兼自宅が本社としていたので事務をしている感じでしたね。そして会社で慰安旅行にいくという話になったようで

父「お前も北海道いくんだぞ」

母「いいけど、他の従業員の奥さんたちも誘ったら?色々陰で支えてくれてるのは奥さんたちなんだから」

父「まぁ いいか」

 

そんな感じの話をしたらしいのです。

しかし、それから一向に何の話も出ないので痺れを切らした母は

母「ところで、慰安旅行の件 ほかの奥さんたちに聞いてくれた?」

父「なんで他のところの嫁たち来ないのに、あんただけいくの?!俺だけ連れて行けるわけねーべ!」

といきなり切れられたと言っていました。

母は別に「行きたい!!連れてって!」と言ったわけでもなく、親父から誘ってきていたわけで

しかもほかの奥さんたちもと提案したのも母なわけなのに全然ちんぷんかんぷんな感じになったといっていました。とにかく母は「他の奥さんたち行かないなら私も行かない」というか「来るな」的にいわれたので「あっそ」で終わらせたようです

 

それからしばらくして、うちの会社には助さんと角さんのような父よりちょっと年上なコンビがいたのですが

いつもいつも陰ながら頑張っている母を不憫におもったのでしょうね

助さん「奥さん・・あのね、慰安旅行の件だけど…社長、自分の気に入ってるスナックの子とそのママを連れて行くって約束しちゃったから急に奥さんに来られたくなくてあーいったんだよね…」と。

 

くそすぎ

 

母は「え…」こんなことから、助さんはちょいちょい母へ情報を流すようになっていったのです。

助さんも角さんも「社長は仕事は出来るよ、立派だし。でも 奥さんが可哀そうで見てられない。離婚したほうがいい…」といってくれていたようですがやはり母は経理を任されている以上、会社の流れ(金銭的に)止めてしまえば従業員さんの給料も誰がするの?という心配からずるずるといたのです。

しかし私が小学校4,5年の時に詳しくは覚えていないのですが同じ市内のアパートに引っ越したんですよね。母と二人で。

その時は親父は慰安旅行に連れて行った女と付き合っていたはずです。

多分その女が原因だったはずです。

 

そして私たちはアパートに住んでいたんですが、子供だった私は「お父さん一人で可哀そう」と母に言うようになってしまいました。

そして母も、たまにならということで3人で食事をするようになったのです。

 

しばらくして、父は部屋にもあがるようになりました。

そしていつの間にか今まで通り酒を飲んではグダグダとなり、クリスマスに兄もきてその部屋でクリスマスをしていた時にいつもと同じように母に何かをいったのです。

そして母と父は口論に。

兄はいい加減切れて親父と取っ組み合いのけんかに発展

私は小学生で泣くしかできない

 

兄が確かあの時いっていたのは「かーちゃんにあんなつらい目させて、まだわかんないのか!?」だった気がします。

そして、ちょうどその時あたりから・・異変が起き始めました。

 

父が停めている車のタイヤが4本めったざしに。

ワイパーはぐにゃり曲げられていたり

スプレー缶で車をぐちゃぐちゃにされたり

鍵穴がぐちゃぐちゃになっていたりと。

 

母はこわくなり、近くの交番へ相談にいきました。当時の警官はまだいまより人情味があり

「小さいお子さんもいるんですよね?心配ですよね…奥さんの近所を重点的に見回りを強化します。何かあったらでは遅いですからね」と優しい言葉を頂いたようです

 

そのことを母が父に伝えると、それ以来一度もなくなりました。

 

父は女に言ったのでしょうね「嫁が警察に言ったから」と。

これも後から知ったのは、その女が誰か友達の男を使って一緒にやっていたそうです。

その女は前にも妊娠しただの、慰謝料よこせだのいってきたことがあったようで

母は逆に「私もあんたに慰謝料請求しますから」といったらしく、その腹いせだったのでしょう。

 

結局別居してもこんなことでもめ事が多かったのですが、父が

もう散々したから次は本当にないからということで私も「許してあげたら?」といってしまったのもあり、母と私はアパートを引き払い自宅へ戻ったのです。

 

でも離婚はしたままでした。親父の様子をあと何年か見ていて、それでも大丈夫とおもったら再婚しようとおもっていたといっていました。

 

それから自宅に帰ってからの1年は旅行へいったり、家族として再出発をしたのです。

 

だけどやっぱりだめだった。

1年が過ぎたころ、父が寝ている時

母の手を握り

「○○~ ○○~(女の名前)愛してるか~?」

と寝言付きで言ってしまったのです・・・。

 

それを聞いた母は飛び起きて、父の顔を平手打ち

父はびっくりして「な!なんだよ!!」

母「ばかにすんじゃねーよ!!!!!」

 

もうこれで母も親父という人間は治らない、無理だとおもって諦めがついたようで

私は次の日に母に

母「親父にわかんないように荷造りしなさい。荷物は全部クローゼットに段ボールで隠すんだよ」

といわれコツコツ荷造りを始めたのです。

たまーーに父親が私の部屋に入ってきて段ボールをみて

「なにこれ」というので

「いらないもの整理してる」

といったはずです