小学1年生か2年生の頃だったと思います。
保育園の頃からいじめっ子だった、ゆいちゃん。
小学校でも学校・近所で幅を利かせていました。
ゆいちゃんは歳の離れたお兄さんが二人いるせいか、とてもませていたのですが、
お小遣いも小学校に上がるとご両親から月1000円もらっていました。
そして近所のお店でお菓子を買って食べているのですが、
わたしもゆいちゃんに近所のお店に一緒に連れていかれることが多々ありました。
(ゆいちゃんのことは苦手だったが、本人に苦手と伝えることができず、
またうまいこと言って誘いを断ることもできなかったので。)
そうすると、ゆいちゃんはお小遣いを持っていてお菓子を買うことができるけど、
わたしはお小遣いをもらっていないのでお菓子を買うことができませんでした。
もちろん、ゆいちゃんはお菓子を分けてくれない。
そしてお金を持っていないわたしのことを、貧乏、と言う…
すごく悲しかったです。
わたしはお菓子が大好きだったし、貧乏と言われるのは小学生のわたしには情けないことだったのです。
わたしもお菓子を買いたいと思ったのは、家で食べさせてもらえなかったというのもあります。
(親は虫歯予防のために甘いお菓子を食べさせてくれなかったのですが、肝心な歯磨きを
教えてもらえなかったので、残念ながら虫歯はいっぱいありました。)
ゆいちゃんと知り合わなければ、わたしはその時、近所のお店にお菓子を買いに行くという
選択肢は思いも浮かばなかったでしょう。
しかし、ゆいちゃんが好きなようにお菓子を買う姿を見ていて、
わたしも買いたくなり、家の中になぜか落ちていた50円玉と5円玉を拾って
お店にアイスクリームを買いに行きました。
当時、アイスクリームは50円でした(安!)
それで弟の分も、と二つ買おうとしたのですが、55円しか持っていなかったので
一つしか買うことができず、弟と分けて食べたような気がします。
(当時はお金のことがわからなくて50円玉と5円玉があれば二つ買えると思っていた)
ゆいちゃんは、当時の小学生低学年にしては、ませていて、
ある時、お店のおばちゃんに「アルバイトさせて~」と甘えて言っていました。
そんなことできるわけないよね、と子どもながら思ったのですが、
なんとゆいちゃん、アルバイトに成功!
わたしも一緒にアルバイトさせてもらいました。
商品に値段のシールを貼るというバイトだったのですが、
何時間したのかは覚えていませんが、一人50円ずつもらったのを覚えています。
(あんなにがんばったのに、50円か~と思ったのも覚えています)
小学校低学年(2年生だったと思う)でよくアルバイトさせて、なんて言えたな~と感心します。
そして、小学2年生にアルバイトさせてくれたおばちゃんもおばちゃんだな、と思うのですが、
何と言っても、ゆいちゃんは社長の娘だし、お母さんはPTA会長だし、
地域ではパワーを持っている家族だったので、お店のおばちゃんも
ゆいちゃんの要求を断れなかったのかなーと想像します。
ゆいちゃんのことはあまり好きではありませんでしたが、貧乏と言われるのが嫌で
母にお小遣いがほしいと伝えたことがありました。
しかし、「何言ってるんや!うちは貧乏なんやぞ!」(怒る時だけ大阪弁の母)と
厳しく叱られました。
当時、お小遣いをもらっている小学2年生もいましたが、
もらってない子もたくさんいましたしね。
でも、そんな時、母には、怒らずにちゃんと理由とともに話してほしかったです。
毎回何か相談すると頭ごなしに怒られるので、もう母に何も相談しない、とこどもながらに思いました。
何をするにも母の顔色を窺って「この人に言っても無駄だろうな」と
母に相談しなくなり、自分で「なんとか」していました。
その「なんとか」がこどもが考え着くような幼稚な方法で、
実は大人になってからもこどもの頃にしていた「なんとか」をし続ける
(我慢し続けたり、人の顔を伺って自分でなんとかする)というのを
アラフィフになるまで繰り返してきたんだと思います。
もう、やめにしていいよ。
もう誰の顔色も窺わなくていいよ。
我慢しなくていいよ。
一人でなんとかしようと思わなくてもいいよ。
見た目と年齢はアラフィフだけど、心はこどものままのわたしに
今そんな風に話しかけてこどもの頃の辛かった気持ちを癒しているところです。