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誰かの言葉に、静かに耳をかたむける。
ただ聴く、ただそこにいる。
気持ちがゆるむきっかけになれたら、
それだけでうれしい。
ここに綴るのは、日々のなかで出会った、
やさしい気配のようなストーリーたち。
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朝、久しぶりに青空を見た。
どんよりした日が続いていたせいか、
その広がる青に、心がふっと軽くなるような気がした。
少しだけ立ち止まって、深呼吸をする。
その瞬間、忙しい毎日の間に埋もれていた“余白”を久しぶりに感じられた気がした。
その日、奈緒は知人の紹介で
ベビーシッターを頼まれた。
依頼主は、初めての子育て中という桜子さん。
リビングの奥では、
2ヶ月ほどの赤ちゃんがすやすやと眠っている。
部屋は静かで、少し甘いミルクの匂いがした。
「なかなか寝てくれなくて……」
桜子さんは小さく笑った。
その笑顔の奥に、張りつめた疲れが見えた。
「一人で大変だったでしょ」
奈緒が声をかけると、
桜子さんは少しうつむいた。
「義両親は海外で、母は祖父母の介護中で……
これ以上、迷惑をかけたくなくて。
夫も仕事が忙しくて、家のことはなるべく私がって思ってたんです」
「誰にも頼れなかったんですね」
「はい。夫も忙しいから、
“ベビーシッター頼んでもいいよ”って言ってくれるんですけど、いざ頼むとなると、
“私がやらなきゃ”って思ってしまって…。
でも、知人のゆきさんが、
『奈緒さんなら赤ちゃんも見てくれるし、あなたの話も聞いてくれる』
って教えてくれて、お願いすることにしたんです」
桜子さんの言葉には、
“なるべく私が”“私がやらなきゃ”という気持ちの重さがにじんでいた。
奈緒はそっとうなずいた。
「桜子さん、ずっと頑張ってきたんですね」
そう言われて、桜子さんの目に少し涙が光った。
「頑張るのが当たり前だと思ってたんです。
でも最近、疲れてても止まれなくて……休むのが怖いというか」
奈緒はうなずいた。桜子は続けて…
「“今これをしておけば楽になるかも”って、
気づいたら“次のこと”ばかり考えてて」
奈緒の声が静かに響く。
「ずっと“次”を考えてると、
“今”を味わう余裕がなくなっちゃいますよね」
「そうかもしれません……
気づいたら、赤ちゃんの表情もちゃんと見てなかったかも」
そのとき、赤ちゃんがふにゃっと小さく笑った。
桜子さんは思わず息をのんだ。
「今、笑いましたね」
「ええ。きっと、お母さんが話してる声を聞いてるんですよ」
桜子さんの目が少し潤んだ。
「…この子、ちゃんと私を感じてくれてるんですね」
奈緒はうなずいた。
「赤ちゃんって、“お母さんの呼吸”で安心するんですよ。だから、お母さんが休むことも、この子にとって大事なんです」
「私が休むことも…この子のため」
桜子さんがゆっくりと言葉を噛みしめた。
「そう思ったら、ちょっと肩の力が抜けました」
「それが“余白”なんです。
がんばることと同じくらい、大切な時間。」
桜子さんは、赤ちゃんの小さな手を握った。
その温もりが、胸の奥に静かに広がっていく。
窓の外では、春の光がカーテン越しに揺れていた。
慌ただしかった時間が、少しずつ“やさしい間”に変わっていく。
誰かのために頑張るあなたへ。
自分を休ませてあげる時間、ありますか?