スーパーで長蛇のレジ待ち。

ようやく自分の番が近づいてきた。


なのに、前の人が、レジを打ち終わってから財布を出した。

(え、今出すの?だって、随分時間あったよね?)


思わず、心の中でつぶやいてしまう。

なぜか、こういうときだけイラっとする。


でも不思議と、財布を出して支払う準備をしている人が、

小銭を探したり、お札がなかなか出せずにもたついているときには、

あまりイラッとしない。


むしろ、「焦ってるだろうな」って思うし、

少しでも急かすような視線を送ると、

自分が悪い気がしてしまう。


たぶん、「今すること」と「次にすること」が見えているかどうか。

人は、次に起こることが予想できると安心する。


けれど、その流れが途切れると

「準備してない」「段取りが悪い」と感じてしまう。


仕事でも、同じようなことがある。

会議の1時間前には資料を準備している人もいれば、

会議の直前になって、あわてて資料を印刷する人もいる。


どちらも悪気はないのだと思う。

でも、悪気がないだけでは伝わらないこともある。


後者は、結果として“段取りが悪い人”という印象を残してしまう。そして、その小さな印象の積み重ねが、信頼に影響することもある。


その段取りの悪さが、

私のイラっとポイントなのだと思う。


だから、イラっとするかどうかの境界線は、

もしかすると「流れを意識しているかどうか」なのかもしれない。


──でも、ふと思った。

イラっとするのは私の感情。


スーパーのレジで並んでいてもお財布を出さないのも、

もしかしたらその人なりの理由があったのかもしれない。


前に財布を手に持っていて、ひったくられたことがあるのかもしれないし、

財布を出すのかと思ったら、実は携帯で支払うつもりだったのかもしれない。


会議ギリギリに資料を印刷している人は、

資料に急な変更があったのかもしれない。

急な体調不良で、印刷が遅れてしまったのかもしれない。


そう考えたら、

私がイラっとするポイントにも、“自分の物差し”があるんだなと思った。


効率ばかりじゃなく、

相手の事情に想像を向けること。

それもまた、流れを止めない力なのかもしれない。


気が利く人は、流れを止めない人。

でも、その“流れ”には、きっと思いやりも含まれている。


段取りの先にあるのは、思いやり。あなたはどう感じますか?