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誰かの言葉に、静かに耳をかたむける。

ただ聴く、ただそこにいる。

気持ちがゆるむきっかけになれたら、

それだけでうれしい。

ここに綴るのは、日々のなかで出会った、

やさしい気配のようなストーリーたち。

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——私は、探偵に依頼をした。


浮気かどうか、白黒つけたかったわけじゃない。

でも、何も聞けずに自分の中で考え続けるのは、もう限界だった。


猫の毛が、靴下についていた日。

浮気…? まさか。

でも、なぜ? どうして?

考えても考えても、わからなくて、

不安と疑いと混乱だけが、ぐちゃぐちゃに渦を巻いていた。


私は、浮気を疑った。それがすべてだった。


探偵は淡々と話を聞き、

「ご主人の行動を数日、見てみましょう」とだけ言った。


——結果が出るまでの一週間。

私の心は、怖いくらい冷静で、

怖いくらい疑い深かった。


それでも、「もしかしたら」

そんな気持ちも、ほんの少しだけ残っていたのかもしれない。


——そして、報告書は届いた。


白い封筒の中には、几帳面にまとめられた調査記録。


そこに写っていたのは——

夫が、見知らぬ女性と小さなビルに入っていく姿。

私の手が、わずかに震えた。


探偵がそっと言った。


「何度か接触があったようです。

仕事以外の接点かもしれませんが…親しげに見える場面も、ありました」


——やっぱり。それとも。


私は、報告書の写真に目を落とした。


夫が、見知らぬ女性とキャリーケースを運ぶ姿。

そのあと、二人でカフェに入っていく。


「仕事関係かどうかは…今のところ、確認が取れていません」


私の頭の中に、言い訳のような声が響いた。

仕事かもしれない。たまたまかもしれない。

でも、それも、言い訳に過ぎない。


「カフェでは…特に親しげというわけではありませんが、

少し、リラックスした様子は見受けられました」


リラックス。


その言葉に、胸の奥がじんと痛んだ。


夫が、私の前では見せたことのない顔で

誰かと笑っている。


そんな場面をこの数日のどこかで、夫は過ごしていたんだ。


探偵は淡々と、事務的に話を続ける。


「接触の範囲は限定的ですが、

お仕事の付き合いとは言い切れない面もありますので…」


——言い切れない。


つまり、どちらとも取れる。


この報告書は、どちらにも解釈できるように

できている。


胸の奥に、薄く冷たいものが広がっていった。


——どちらでも、だったら。

私は、どちらを信じたいんだろう。

でも、このまま知らないふりだけは、もうできそうになかった。


「……ありがとうございます」


そう言った声は、自分のものじゃないように、静かに響いた。


探偵は、ひと呼吸おいて尋ねた。


「このまま、調査を続けますか?」


私は、ほんの少しだけ目を伏せて、首を横に振った。


「……いいえ。もう、大丈夫です」


たったそれだけの言葉だった。


でも、それを口にしたとき、

心の中に、ひとつの決心のようなものが芽生えていた。