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誰かの言葉に、静かに耳をかたむける。

ただ聴く、ただそこにいる。

気持ちがゆるむきっかけになれたら、

それだけでうれしい。

ここに綴るのは、日々のなかで出会った、

やさしい気配のようなストーリーたち。

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松重さんの声は、かすかに震えていた。

目を合わせないようにしながら、それでも必死に自分の気持ちを探しているようだった。


私は、そっとカップを置いた。

「……うん、大丈夫。ゆっくりでいいから」


それだけの言葉に、彼女は少しだけうなずいた。

そして、紅茶の表面を見つめたまま、また黙り込んだ。


──昔から、感情をすぐに言葉にする人ではなかった。

背筋を伸ばして、声のトーンも穏やかで、どんな状況でも冷静にふるまう人。

それが松重さんだった。

けれど今、私の前にいるのは、迷いを隠しきれずに立ち止まっている彼女だった。


「ねぇ、私……どうしたらいいんだろう」

ぽつりとこぼれたその一言には、怒りでも悲しみでもない、“戸惑い”のような色がにじんでいた。


「責めたいわけじゃないのよ。ただ……

何も言わずに全部飲み込んで、笑ってやり過ごして。

そんなふうにしてたら、ある日ふと、自分が何を感じてるのかも分からなくなって……」

「私、“何も言わないこと”が大人だと思ってたのかもしれない」


言いながら、自分で気づいたように小さく笑った。

その笑顔がどこか切なくて、私は言葉を飲み込んだ。


「……でも、もう限界かも」

彼女の声が、ほんの少しだけ震えていた。


私は、その沈黙ごと、受け止めたかった。

言葉よりも、ちゃんとここにいるということが、大切な気がした。


しばらくして、松重さんは小さく呼吸を整えるようにして言った。


「今夜、話してみようかな。……ちゃんと、自分の言葉で」


冷めかけた紅茶の向こうに、彼女の目がほんの少しだけ前を向いたように見えた。