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誰かの言葉に、静かに耳をかたむける。

ただ聴く、ただそこにいる。

気持ちがゆるむきっかけになれたら、

それだけでうれしい。

ここに綴るのは、日々のなかで出会った、

やさしい気配のようなストーリーたち。

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「ちょっと、聞いてもらってもいい?」


そう声をかけてくれたのは、同じ趣味サークルの木下さん。

最近は顔を合わせてもゆっくり話す機会がなかったから、こうして腰を落ち着けて話すのは本当に久しぶりだった。


彼女の表情には、少しだけ迷いが混じっていた。でも、話しはじめたら、それはぽつぽつと、静かに流れる川のように続いていった。


「松井さんにね、“片岡さんと仲良くしないでほしい”って言われたの」


松井さんは、サークル内での彼女たちの仲良しグループのひとり。そして、以前に片岡さんと大きなトラブルを起こした本人でもある。


その出来事がきっかけで、グループの中の空気が変わり、誰もはっきりとは言わないけれど、少しずつ、片岡さんとの距離を取る人が増えていったという。


やがて、片岡さんの居場所は少しずつ、曖昧になっていった。


それでも木下さんは、変わらず片岡さんと接していた。これまで通りに挨拶をして、世間話をして、必要なやりとりをして。特別に距離を縮めたわけじゃない。ただ、普通にしていただけ。


「私は、ただ普通にしてただけなんだけどね」


そう言いながら、少し肩をすくめていた。


でも、その様子を松井さんはあまりよく思わなかったらしい。ある日、はっきりと言われたという。


「片岡さんと、仲良くしないでほしい」


木下さんは、しばらく迷った末に、こう返した。


「ごめん、それはできない」


「たしかに、トラブルはあったし、松井さんが傷ついた気持ちもわかる。でも、私は片岡さんのことを一方的に悪いとは思えなかったんだよね」

もちろん、片岡さんにまったく非がなかったわけではない。

他の人たちが感じた違和感や怒りにも、理由はあると思う。


「それでもね、私にとっては“ただの悪者”じゃなかったの。嫌いにならなきゃいけない理由を、自分の中では見つけられなかったのよ」


「人との関係って、自分がどう感じたかで決めたいの。そのほうが、自分でちゃんといられる気がするのよ」


そう話す木下さんの言葉はとても静かで、でもまっすぐだった。


それからしばらくして、松井さんはグループから少しずつ距離を置くようになった。

他の人たちとの間にも、どこかぎこちなさが残ったまま、いつの間にか、サークルにも顔を出さなくなっていた。


「きっと、松井さんは私に“味方になってほしかった”んだと思う。自分が傷ついたとき、誰が味方で誰が敵かって、はっきりさせたくなる気持ち…なんかわかる気がするの」


そう言っていた木下さんの目は、誰かを責めるようなものではなかった。

ただ、ほんの少しだけ、さびしそうだった。


「私ね、松井さんのこと、今でも友達だと思ってる。たぶん、もう松井さんはそう思ってないかもしれないけど。それでも…どこかでまた笑い合えたらいいなって、そんなふうに思ってるんだ」


その言葉には、わだかまりよりも、やさしさと願いがにじんでいた。

関係が変わってしまったとしても、大切に思う気持ちは、まだ静かにそこにあるのだと、私は思った。