気づくと、部屋の中がほんのり薄暗くなっていた。
窓の向こう、空はすでに夕暮れ色。
缶ビールを2本、いつの間にか空けていた。
作り置きしていたおつまみも、きれいになくなっている。
「思い返すのって、疲れるな……」
誰に言うでもなく、ぽつりとつぶやいた。
私は立ち上がり、ベランダに干してあったシャツとタオルを静かに取り込む。
たたみながら、思考も一緒にたたんでいくようにして。
そしてキッチンに立つ。
今夜はカレー。鍋の底でゴトゴト言う音と、スパイスの匂い。
…そういえば、あの日もカレーだった。
単身赴任の夫が戻ってきた日の夜。
娘は「パパも一緒に食べるとおいしいね」って、
スプーンをブンブン振り回して嬉しそうにしてた。
私たちは、その笑顔だけを見つめながら、
沈黙に包まれたまま、スプーンを口に運び続けたことを思い出した。
単身赴任から戻った夫との暮らしが始まり、
間もなく家庭裁判所に調停を申し立てた。
離婚は望まなかったけれど、このままでは娘の笑顔までもが窮屈になる気がした。
調停の申立書――
ペン先が迷った気配だけが指に残っている。
理由を書く欄に、何を書いたのかさえ覚えていない。
窓口の職員の声も、ほとんど霞んでいる。
覚えているのは、建物を出た瞬間、紙の端をそっとめくった風の感触だけだった。