探偵事務所から紹介された弁護士に会いに行った日のことは、なぜかやけに記憶に残っている。
静かな応接室。
背の低い観葉植物と、くたびれたソファ。
向かいに座った弁護士は、どこか頼りなくて、妙に落ち着きのない雰囲気があった。
「ほんとにこの人、弁護士?」と、内心つぶやいてしまったほどだ。
この人大丈夫?と思いながら、調査報告書を差し出した。証拠はそろっている。
「慰謝料は取れますよ」
当然のように言われたけれど、私はどこか現実味を感じられなかった。
お金で気持ちが救われる気がしなかった。
それよりも、子どものことが一番だった。
離婚して環境を変えるより、目の前の安定を守ることを選んだ。
それが、あのときの私にできる“最善”だと思っていた。
私は離婚に応じなかった。
そして…慰謝料も請求しなかった。
これでいい。これでいいって、自分に言い聞かせていた。
でも……。
あれから何十年も経った今、思うこと…
「慰謝料をとって、さっさと離婚しろ」
父が言ったことは間違っていなかった。
あの時すぐに離婚に応じておけばよかった。
慰謝料だって、しっかり取っておけばよかった。
もちろん、不倫相手からも。
不倫相手にだって慰謝料を請求できる。
そんな基本的なことも、弁護士からちゃんと説明されていたはずだったのに。
あのときの私は、そんな言葉すら頭に入ってこなかった。
今思えば、本当に視野が狭くなっていたと思う。
「子どものことを守らなきゃ」って、それだけで必死で。
目の前の小さな選択を、とにかく“終わらせる”ことばかり考えていた。
傷ついた心をかばいながら、知らないうちに自分にブレーキをかけていた。
何を選べば正解なのかなんて、わからないまま、
それでも毎日は待ってくれなかった。
そんな中で、私に小さな変化があらわれた。
ひとりで抱えていたことを、初めて誰かに話したのは、友達の由美と千佳だった。
正直、怖かった。
口にしてしまったら、自分の弱さが全部あらわになってしまいそうで。
でも、あのときの私はもうひとりで悩み続けることができなかった。
由美と千佳は、何も言わずに話を聞いてくれた。
それだけで、ほんの少し心が軽くなった気がした。
「ひとりじゃない」って思えた。
そして、少しずつ前に進む方法が見えてきた。
裁判所に「家事相談室」があること。
そこでは、これからどうすればいいか無料で相談できるということも知った。
最初は迷った。
本当にそこに頼ってもいいの?
また傷つくんじゃないか…って、不安もあった。
でも、その場所が、少なくとも一歩を踏み出すための道しるべになってくれることを、信じてみようと思った。
少しずつだけど、
やっと、前に進むための一歩が見えてきた気がした。
はっきりとした答えが見つかったわけじゃない。
それでも、何かが変わりそうな気がしている。
今までの自分には、思いもよらなかった方法だったけれど…少しだけ、道が開けていく気がした。