悲しみのど真ん中 | 羽根たまご

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日々綴る日記のようなブログ

※これは5年前の出来事を思い出して書いた記事です。

  同じ境遇の方々が少しでも前向きになれますように。



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笑顔のなくなった娘に気付いて実家に帰る決心をしたわたし。

義理父に


「お父さん。週明けにも実家に帰らせてもらえませんか。」


とだけ伝えました。

すると義父は少し黙って

「ええよ。アイちゃんの思うようにしてくれたらいい。ありがとのぅ」

と言いました。

つらかったです。




そして私は実家に戻りました。

実家での生活は楽でした。

1ヶ月間の同居の疲れと育児の疲れを放り出すかのように、私は両親に甘えました。

甘えたというか、掃除ぐらいしかしなかったのです。

その頃、わたしは外に出るのが嫌になっていました。

結婚指輪も外し、青白い自分の顔を鏡で見たとき、このまま死ねたらいいのに・・・とさえ思いました。

自分で死ぬ勇気なんてないから、朝起きたらそのまま死んでたら楽だろうな・・・とか甘えたことを思ってました。




完全に甘えです。

甘ったれ病でした。

娘もいるのに。




私はしばらく友達との連絡も疎遠にして、限られた小さな空間で子育てをしていました。

ただ、なんとなく車でブラっと出ることはありました。

何を口にしても味がしないんですよ。

毎日泣いていました。

ただ、娘の前では泣くまいと思って、布団の中とかそういう場所でしか泣きませんでした。

一応、そういうことはまともに考えることが出来たんです(苦笑)。

しっかりしてました。




落ち着く場所に帰り、悲しみのど真ん中に居ました。

この子が3歳になったら勉強して看護士でも目指そうかな・・・母子家庭で子育てするにはそれが妥当かな・・・と考えたりしていました。

遺族年金なんて当てに出来ません。

今だから書きますが、わたしの場合、1ヶ月あたり12万の遺族年金を受給していました。

これは亡くなった夫の年収などによって異なるみたいです。

そこから国民健康保険とかを払うわけです。




働かなくちゃ。

とにかく仕事をしなくちゃ。

という焦りと不安と悲しみのなかで日々生活していました。




娘がよく笑うようになり、(両親のおかげです)

その笑顔を見るたびに、頑張らなくちゃ!と思っていました。





そんなとき、ふと車に娘を乗せて(生後9ヶ月の頃)、わたしは友達の家に行きました。

地元の友達で、平日は仕事でいないと分かっているにも関わらず、そこへ行きました。