■■■■「ついつい」コラム■■■■
(投稿済みの「ツイ」ッターに「追」加して書いています。仕事柄、政治の悪弊を「ついつい」論難してしまいます)
掃除をサボる子は裸の刑だ?-参議院の安保法制採決
参議院でも強行採決され、安保法制が可決、成立しました。「暴挙だ」「やむをえない」「関係ないし」と、いろいろ見方はありましょうが、私はある種の絶望感を強く持ちました。「こんなこともわからないのか」「ここまで政治家は劣化したのか」と。本コラムでは細かい手続き違反の問題でなく、参議院の採決で見えた日本政治の本質的危機に注目します。
■多数決なら何でも決められるか
本会議では野党が解任決議案、不信任決議案、問責決議案などを次々出し、安保法制の成立を阻もうとしました。しかし、それに対して与党は討論の時間を制限する動議を出し、与党の賛成多数で可決されました。その結果、各党の討論の持ち時間は10分から15分となりました。実際の審議では野党の討論者がたびたび時間をオーバーしたため、議長から注意を受け、議場では「発言やめろ」「ルールを守れ」という大きなヤジ、怒号が飛び交いました。
この状況、どう考えますか。確かに意味なく時間を費やすのは良くありません。だから時間を制限することもわかります。そしてその制限も本会議で諮って多数決で決めました。みんなで決めたことを守らない野党議員はルール違反です。だから発言をやめさせるべきだ――こう考えますかね?
では、次の話はどうでしょう。ある小学校のクラス会議で、まじめなAさんから「掃除をサボる子らがいるのは、おかしいと思います」という意見が出ました。そうだ、そうだとなって、頭のいいB君が「何か罰があったら、それがいやだからサボらないようになるよ」と提案しました。いつもふざけているC君が「じゃあ、サボった人は裸になるとかは」と言うと、教室は大笑いに。司会役のDさんが「賛成の人は手を挙げて」と聞くと多くの手が挙がったので、「掃除をサボったら裸になる」というクラス規則ができました。その後のある日、お母さんが交通事故にあったと聞いたE君が掃除をしないで帰ろうとしたので、みんなでE君を裸にしました。クラスで決めたルールだから、守らないといけないと。
この話が変だというのは誰もがわかるはずです。いくらみんなで決めたこととはいえ、それはやりすぎだ、と。多数決は大切ですが、何でもできるわけではありません。どんな場合でも侵されない至上の価値・原理とかち合う場合、多数決原理は当然に後退します。人前で裸になるのは個人の尊厳を傷つけ、人権を侵害します。人権保障の概念は、今や普遍的な至上の価値として公認されているので、いくら多数決であっても、人に裸を強要できないのです。
■国会議員の“自殺”と“粗悪品”
では参議院での討論規制はどうでしょうか。日本は民主主義の国です。民主主義社会においては、まず個々の市民が自由に意見を言えねばなりません。その民意は議員が政治に反映しますから、議員も自由に意見が言えねばなりません。その代議制の最上位に国会があります。だから国会は「国権の最高機関」であり、「言論の府」と呼ばれます。なので、その国会において「言論の自由」という原則は、国会の魂そのものと言ってよいでしょう。この点から考えると、討論規制に関して、二つの深刻な問題が見えてきます。
一つは、国会議員自らが“自殺行為”に及んでいるという点。民主主義社会において「言論の自由」は不可欠の大前提ですが、それがその最も権威ある場所で、しかもその当事者が自ら放棄するような行為は、民主的に選ばれた議員がその民主主義社会を自ら葬ろうとしている意味になるからです。
二つ目は、国会議員に“粗悪品”が増えているという点です。多くの与党議員がヤジや怒号で叫んだのは、「討論時間を規制したルールは多数決で決まったのだから、時間超過の野党議員は話をやめろ」という考え方です。これは掃除の話に当てはめれば、「掃除をサボったら裸になるというルールは多数決で決まったのだから、サボった子は服を脱げ」という思考と同じです。人権が多数決で否定されないように、言論の自由も多数決で否定されないのは自明の理ですが、これがわかっていないらしい与党議員。時間を超していても懸命に安保法制の非を訴え続ける野党議員に対して、靴を打ち鳴らし大声で「やめろ」とわめくさまは、よってたかってE君の服を脱がそうとしている場面と、本質において同じではないでしょうか。国会議員は小学生並みか、と大きな失望を感じました。
■社会を根底から蝕む政治の劣化
振り返ってみれば、これら二つの点――民主主義の後退と、議員の質の低下――は安倍政権の下ですでに明らかになっている傾向です。民主主義が後退しているから質の悪い議員が出てくるのか、質の悪い議員が多いから民主主義が後退するのか。鶏と卵の関係に似て、答えは難しいですが、いずれにしてもはっきりしているのは、これは独裁国家を求めるのではない限り、絶対的に悪だということです。
もちろん、質の良い国会議員も少なくありません。単に頭が切れ、弁が立つだけでなく、良心と情熱のある議員です。委員会質疑や本会議の討論で見ごたえのある場面もありました。
民主党の福山哲郎氏も悲壮な表情で時間を越えて演説しましたが、ヤジに耐えかね「武士の情けもないのか」と言い返しました。気持ちはわかりますが、本質はそこではありませんでした。E君を寄ってたかって裸にしょうと群がっている悪ガキらに「武士の情けで助けてやってくれ」と言うのが、的外れであるのと同じです。むしろ、あの場面で福山氏は、「本当に情けない。君らは小学生か」と言うべきだったでしょう。
参議院の採決の顛末を通して見えたのは、国会議員自らが民主主義の“自殺”を図り、国会に“粗悪品”の政治家がたくさん混じっている現状でした。もちろん野党にも質の悪い政治家はいますが、自民党議員の劣化傾向はここ10年ぐらい著しいと感じます。一昔前は良質な保守政治家が多くいたのですが、今は村上誠一郎氏ぐらいでしょうか(潜在的にはいるのでしょうが、声は聞こえてきません)。こういう劣化している日本政治の延長線上に、安保法制が出てくるわけです。単に11本の法律の問題にとどまらず、ことはもっと根底のところで日本社会を蝕んでいると実感します。(終)
