リベラル派の逆襲-饗場(あいば)和彦の政治コラム

リベラル派の逆襲-饗場(あいば)和彦の政治コラム

徳島大学・総合科学部の教授です。以前は新聞記者をしていました。専門は政治学、国際安全保障論、ジャーナリズム論など。いまの日本社会に危機感を持っています。現実主義を踏まえたリベラルな視点から、改憲、集団的自衛、報道の自由、学問の自由、戦争責任などを考えます。

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 自民党が本当に劣化してしまった。このままでは日本がだめになる--。そんな危機感を1人、公然と言い続けている自民党国会議員がいます。当選10回の重鎮、村上誠一郎さん(衆議院・愛媛2区選出)。「ミスター自民党」を自認する村上さんは、安保法制に対し与党でただ1人、反対を公言し、採決も欠席しました。秘密保護法や原発再稼働、アベノミクスも批判します。

 野党が安倍政治を非難するのは当たり前ですし、その主張にはまゆつばもあります。でも身内があえて発する苦言には本物の、深刻な中身があるものです。村上さんが言いたいことは何なのか、安倍政治は本当に良くないのか。「ミスター自民党」の講演を聞いて、じっくり考えてみませんか。

 

村上誠一郎・公開講演会

「本来政治がなすべきこと-財政・金融・外交・教育の立て直しと安保法制・特定秘密保護法の問題点-」

2016年5月15日(日)13~16時

あわぎんホール(徳島県郷土文化会館)大会議室(JR徳島駅から徒歩10分)

入場料500円、申し込み不要

村上誠一郎講演会実行委員会(世話人=饗場和彦・徳島大学教授)主催

aibak@tokushima-u.ac.jp

 

※【後編】に村上氏の言葉を抜粋しました:

正論ズバズバ村上語録

 

■憲法■最初から憲法9条の空文化ありき。集団的自衛権を行使するために、全部こじつけでやっていた。…内閣が代わるたびにこんなことをやって法律を変えていたら、法治国家じゃない。憲法の平和主義がこの手法で崩されれば、国民主権や基本的人権の尊重も崩れる。その危機感が、自民党にはピンときていないようだ」(『東京新聞』2014714日)

 

「なぜ立憲主義があるのか。国家権力が暴走しないために、歯止めとしてあるわけです。それをみずから壊すようなことを天下の自民党の国会議員が認めていいものか」(『週刊女性』2015714日号)

 

憲法を有名無実化するようなことを天下の自民党がやってはならない(『財界にっぽん』20149月号)

 

「(集団的自衛権を行使したいなら、正規の)憲法改正が筋だ。解釈変更は認められない。将来の自民党に鉄槌が下る恐ろしさを感じる」(『産経新聞』201472日)

 

■安保法制■集団的自衛権というのは、自国が攻められていないのに、同盟している他国が攻められたら戦争をするということです。しかし憲法第9条をどうひっくり返しても、そうは読めないのです。…『砂川判決』が…根拠になるとか、『ナチス憲法の真似をしろ』だとか、訳のわからない理屈が持ち出されて」(『財界にっぽん』20149月号)

 

平和外交によっていかに戦争を防止するか、その努力を全力でやらなければいけない時に、安倍さんは集団的自衛権の「行使容認」だとか「武器輸出三原則の撤廃」だとか、相手を逆撫ですることばかりに力を注いでいる」(『世界』20145月)

 

戦争に行くのは、われわれの世代ではありません。20歳前後の若い人たちです。若い人たちの立場を考えない政治家が多すぎる。第2次世界大戦を経験した故後藤田正晴さん(ら)…だったら、こんな法案は絶対に出させなかった。…それが、安倍政権を取り巻く人たちは、神をも畏れぬ態度で…」(『週刊朝日』201573日)

「ただでさえ財政が逼迫しているのに、(軍事予算を抑制する)『日本型ブランドの平和主義』がなぜ悪いのか。憲法9条の平和主義に基づく専守防衛でいいと思います。70年間、血を一滴も流さずやってきたんです。今こそ先人の知恵を世界に誇っていい」(『日刊ゲンダイ』2014425日)

 

■独裁傾向■『あんたの言う通りだ』と言ってくれる人は同僚にも結構いる。『だったら一緒にやりましょうよ』と言うと(立ち)止まってしまう。…小選挙区制(で)選挙(候補の公認)と金、人事を党幹部が握ってしまった。ポストが欲しいから、時の総理には逆らえない。内閣や党が失敗しないために正論を言うのが本当に支えるということなのだが…権力者に異論を挟まないことが支えることだと思っている人が多い。それは違う」(『朝日新聞(愛媛版)』2015820日)

 

「なぜ、こんなことがまかり通るのか。一つは、…特定秘密保護法成立で、政府に都合の悪い情報は出てこなくなった。…さらに、…国家公務員法の改正で600人の官僚幹部人事が官邸に握られた。これで官僚たちは、政権に対して正論も本音も言えなくなった」(『週刊朝日』201573日)

 

「みなさんはヒトラーやムッソリーニは2度と現れないと思われているかもしれないが、民主主義というのは、みんなで守り育てていかないといつでもファシズムになる危険性がある」(『週刊女性』2015714日号)

 

原発■「(鉄道事故で)中国当局が転落した車両を現場に埋めたとき、日本人は笑いましたよね。しかし…(福島原発の)原因解明は中途半端、…除染も進まず、先日は大臣が『…最後は金目の問題』などと発言している。人様のことを笑ってはいられませんよ。こんなことで、原発再稼働…が国民の理解を得られるのか(『財界にっぽん』20149月号)

 

■経済■アベノミクスは…要注意です。…そろそろ財政出動も限界まで来ている。タコが自分の足を食べながらカンフル注射を打っているようなもの(『財界にっぽん』20149月号)

 

■財政赤字■「伯父の孝太郎(元大蔵省事務次官・参議院議員)は『次の世代にツケを回すな』と言い、…1000兆円の(国の)借金などは予想だにしなかったはずです。伯父が生きていたら、『おまえら何をやっているんだ!』と怒鳴られると思います」(『財界にっぽん』20149月号)

 

■選挙■(選挙で自民党は)負ける。今でもたった4割の得票で7割近い議席を取っているわけだから。国民はばかじゃない。…国民の声を知らないのは自民党だけだ」(『北陸中日新聞』2014713日)

 


第1回テーマ:「憲法守って国滅ぶ」?

 安保法制は9月に成立しましたが、来年7月の参議院選挙では大きな争点です。 「中国の動きとか見ると、安保法制いるかな、と思うが、でも安倍さんのやり方もどうなんかなあ…」と、賛成でもない、反対でもないというグレーな「中間派」の人が多くいます。そういう決めかねている人、よくわからないという人向けに、気楽な勉強会を開きます。

 初回のテーマは「『憲法残って国滅ぶ」?」です。多くの人が「安保法制は憲法違反」と言いますが、しかし憲法ばかり守って日本の安全が損なわれるなら、元も子もないのでは、という疑問もあります。
さて、どうなんでしょう?

 この問題に詳しい弁護士、大西聡(おおにし・そう)さんをゲストに招き、考えます。どなたでもどうぞ。



                      ◆
「中間派」向けの安保法制勉強会
2015年12月26日(土)14:00から16:00
徳島大学常三島キャンパス・総合科学部・共通教育4号館201教室
参加無料・予約不要・駐車場有
問い合わせ:徳島大学・国際政治学研究室(饗場、088-656-7186、aibak@tokushima-u.ac.jp)
http://www.tokushima-u.ac.jp/…/20151216000…/files/271216.pdf



案内チラシの裏案内チラシの表

 戦後70年の節目にあたり、確固とした明日の平和をどう築いていくか。加害と被害の両面から戦争を振り返り、歴史の教訓と真摯な謝罪を未来に伝えるため、「戦後70年 平和ミュージアムとくしま」と題したイベントが開かれます。市民による実行委員会の主催。徳島大学、徳島県、徳島弁護士会、報道機関、市町村など多数が後援。ぜひお立ち寄りください。

 

日時20151212日(土)1300173013日(日)9301600

 

場所徳島大学地域連携プラザ・けやきホールなど(総合科学部内、徳島市南常三島町11

 

講演:「あの戦争から遠く離れた今、伝えたいこと~中国残留孤児たちの歴史と今~」城戸久枝(ノンフィクション作家、『あの戦争から遠く離れて-私につながる歴史をたどる旅』で大宅壮一ノンフィクション賞、講談社ノンフィクション賞を受賞、徳島大出身)131330

 

映画:「ジョン・ラーベ ~南京のシンドラー~」1937年、日本軍は南京へ侵攻したが、欧米人らは市民を保護するため安全区を設立。その委員長に選ばれたのがシーメンス南京支社長のジョン・ラーベだった。その活動を史実に沿って描く。131000

 

戦争体験者による語り:戦場や戦災のリアリティを体験者3人が語る。121400

 

学生の報告:「シベリア抑留の実態と教訓-樫原道雄さんはどうして生き抜いたか-」生還した抑留者(91歳)に学生が半年間、聞き取り調査を実施。121600

 

ピースコンサート:ソプラノ歌手と園児のコラボ。121330

 

紙芝居:「はだしのゲン」131030

 

展示:「無言館(戦没画学生の作品を集めた美術館)」の作品、「731部隊」展、「従軍慰安婦」展、「沖縄戦の記憶」、「ふるさとも戦場に」

 

その他:入場無料、予約不要。学内の駐車場は利用できません。JR徳島駅から徒歩25分。路線バス、高速バス有り。

 

問い合わせ:実行委員会事務局(吉成法律事務所、0886562051)、饗場和彦(徳島大学総合科学部、088656-7186aibak@tokushima-u.ac.jp


ゴーマン
でなくギマンでなく-中間派の人向け「安保法制」論
no.3=世界ではわりと歓迎されているようだが)

 

 「世界の国々は、日本の安保法制をどうみているのだろうか」--。日本国内では反対する人が多く、大きな議論になっていますが、国際社会の世論も同じ構図でしょうか。安保法制に対して賛否決めかねている中間派の人にとって、外からどう評価されているのか、というのは一つの気になるポイントです。反対派があれだけ大騒ぎしても、世界から見れば「浮いている」行動なのかもしれません。さて、どうなんでしょうか。

 

■国内と国外では受け止め方に差がある

 「カナダ人からすれば、さほど関心ないけど、日本が国連のPKOに力を入れるのはいいんじゃない」。筆者が滞在しているカナダの大学では、そんな感想を言う学生もいます。この国は伝統的にPKOに熱心ですから(ただ最近は違うともいわれます)、そこに着目するのはわかります。確かに今回の安保法制で自衛隊のPKO活動は拡大されますから間違っていません。「でも、そこじゃないんだよね、crux(本質)は」と私はその学生に苦笑いして応えました(本質が何かという点については他のコラム「A君への手紙」2編をご参照ください)各国の政府の反応、海外の新聞や雑誌などに接すると、どうも日本国内での受け止め方とは差があるとわかります。

 

 その具体的な差というのは、海外の反応のほうが日本国内の意見よりpositive(肯定的)という点です。アメリカは当然、安保法制を喜んでいますが、イギリス、ドイツ、オーストラリアなど欧米先進国の政府の多く、またフィリピン、ベトナム、スリランカ、パプアニューギニアなども歓迎するコメントを出しています。なぜなのか、その背景に三つの要素を見つけられます。

 

■なぜ肯定的?-外交儀礼だから

一つは、外交儀礼的な常識です。ふつう、ある国が決めたことに対して他国はとやかく言いません。よほどの利害関係がある場合や、もとから仲が悪い場合は批判しますが、そうでない限り、一主権国家が決めた政策について他国がそれを尊重する姿勢を見せるのは、国際法上も外交上も当然の振る舞いです。だから多くの国の首脳は記者会見などで問われれば、当たり障りない言い方で肯定的に応えるものです。そこにはあまり意味ある評価は含みません。

 

■なぜ肯定的?-国際社会全体に寄与するから

 二つ目は国際社会全体への寄与という観点です。今回の安保法制の狙いは大きく、①日本の安全のためという文脈と、②世界の安全のためという文脈に分かれます。世界の安全が日本の安全につながるように両者は連関しますが、法案の直接的な内容はその二つの文脈に分類できます。集団的自衛権の行使や米軍への武器・弾薬などの提供、離島防衛などは①の文脈です。PKOへの参加拡大や国際機関の枠組みで行う軍事行動で後方支援するのは②の文脈です。この二つの文脈から国外の肯定的な評価を読み直すと、多くは②の文脈に沿っていることがわかります。

 たとえばイギリスのハモンド外務大臣が
「日本の国会が、国際平和と安全のため日本がより大きな役割を果たすことを可能にする法案を可決したことを喜ばしく思います。英国はこの安全保障改革を歓迎し、今後、日本の平和維持活動の拡大、および平和と安全を確保するための国際的な取り組みへの積極的な支援を期待しています」と声明を出しました。一読してわかるように、日本が平和維持活動(PKO)をはじめ国際の平和と安全のために役割を果たしてくれるから歓迎しているわけです。この安保法制が日本の安全にとって良いからという①の文脈で賛成しているのではありません。つまり多くの諸外国が日本の安保法制を肯定するのは、それが国際社会全体のためになるからという部分を見て、それは良いことだとしているのです。(続く)

 


■なぜ肯定的?-直接メリットがあるから

 三つ目の要素は関係国への直接的なメリットです。日本の安全のためという①の文脈は、日本の安全を脅かす問題に対処するという意味です。その最大の脅威は中国と見られています。なので、同じように中国を大きな脅威と見ている国からすれば、日本が①の文脈で中国と対抗してくれれば、直接自国の安全にとってもプラスの意味を持つわけです。たとえば南シナ海の離島をめぐって中国と争うフィリピン。アキノ大統領は20146月に安倍首相と会談した際、「集団的自衛権の分野で日本政府が他国を支援する権限を持ち、支援を必要とする国のもとに駆けつけることができれば、善良な国に恩恵をもたらす」と明言。日本の改憲を支持し、中国の脅威に対して協力することで一致したといいます。ベトナムも同じ状況にあります。こうした国々が日本の安保法制に賛成するのは、それが自国にとって都合いいからであり、①の文脈で日本自身の安全にとって良いか悪いかの判断とは関係ありません。逆に当然、中国は反発して否定的な評価をしますし、領土問題や歴史問題などで関係の悪い韓国やロシアも安保法制にいい顔はしません。

 

■所詮、外国から見れば日本の事情はひとごと

 このように、国外から歓迎する声が聞こえるのは、そもそも儀礼的な面があるし、安保法制が国際社会全体にとってプラスの意味を含み、また一部の国にとって直接利害が一致するからです。つまり、安保法制が果たして日本自身のためになるか、ならないかという判断とは関係のない根拠です。この点は外国メディアの報道でもうかがえます。この安保法制が日本の立憲主義の崩壊につながる問題は大変重要なのですが、そこを伝える記事はほとんど目にしません。このコラムでも再三取り上げているように、安倍政権が憲法を軽視しているのは明らかで、それは強権主義、独裁国家につながる道です。しかし極論すれば、外国人にとって日本の市民が自由や権利を抑圧されようが所詮ひとごとなので、そこまではなかなか報道しないわけです。

 

■国外の声を気にせず、当事者として主体的、合理的に判断すればよい

『朝日新聞』(20151022日朝刊)も「内外格差がある」と認めるように、確かに国外には肯定的な意見が多くあります。数が多いと正しいように思えます。日本人の国民性か、ついつい他人の意見に合わせがちです。しかし上述したように、その肯定的な見方は日本の立場から判断したものではありません。であれば、私たちはそんな意見にあまり左右される必要はないわけです。まわりがどう言おうと、この安保法制が日本に住む私たち自身にとって有益かどうか、当事者として主体的に考えた判断に自信を持てばよいのです。

 

SEALDsをはじめ日本で激しく反対運動をしている勢力は、国外からの肯定論の中では「浮いている」ように映るかもしれません。冷静な中間派の人はそこに独善的なものを感じてしまうのかもしれませんが、安保法制に反対する人たちが日本に住む当事者として主体的に判断した行動ですから、国外からの観点をもとにその行動が否定されるいわれはありません。いずれにしても、中間派の人たちとしては、国外からの反応という観点、とくに肯定する意見が多いという傾向について、あまり気にしなくてよいと言えます。

 

■国際世論には安保法制を批判する意見も

ちなみに、国際世論の中には安保法制を否定する論調も少なくありません。インドネシアの有力紙『コンパス』は軍国主義が再び息を吹き返さないか本気で心配していますし、アメリカの政治・外交雑誌『フォーブス』には、周辺国と調和する気がない中で強気の安保法制を進めても日本にとって意味がないと批判する論考が載っています。また、カナダの全国紙『グローブアンドメイル』は「国会の内外で抗議した群集は、(法案成立後も)再び平和主義の道義的価値を主唱、普及してほしい」という意見を示しています。こうした多様な意見もふまえつつ、最後は私たち自身の合理的、自律的な賢慮に拠ればよいのです。(終)

 


A君への手紙・第二信――憲法より国際情勢が大事ですか

 

前略 安保法制についての先日の手紙、読んでもらえましたか。前の手紙では憲法の話を飛ばしましたので、今回はそこを補足しようと思います。というのは、ある人がツイッターでこう投稿していたからです。


 「安保法制が成立しました。国際情勢が変わり、日本の平和が脅かされています。憲法よりも国際情勢を優先した判断は正しいと思います。『憲法残って国滅ぶ』ではいけないでしょう」


 「安保法制は憲法違反だ」「政府は憲法守れ」という声をよく聞きます。憲法学者や弁護士、裁判官らの専門家も多くが違憲と指摘しています。なので、このツイッターの主も、安保法制は違憲かもとは思いつつ、しかし今の緊張した国際情勢の中、憲法ばかり守って日本の平和と安全が守れないなら、意味ないでないか――と言いたいのですね。こういう意見は確かにあるのですが、A君はどう考えますか。

 

■憲法と日本の安全は両立しないのか

ツイッターの意見は、憲法と国際情勢を比較して、国際情勢のほうを優先して判断すべき、と言います。国際情勢とは言い換えると、日本の安全への脅威です。つまり≪憲法と日本の安全、どちらを取るのか≫という問いかけです。


 順に考えていきます。まず、今は憲法か日本の安全か、どちらかしか取れない状況でしょうか。つまり、憲法と日本の安全が両立しない状況でしょうか。両立できればこれが一番いいですね。


 確かに国際情勢の変化はあります。その変化に対応しないといけないのも当然です。その対応とは、「日本の安全が損なわれないように」という「目的」に対して、「こうすれば効果がある」という「手段」を講じることです。その手段にはさまざまあります。前回の手紙で書いたように、国際関係を平和に安全にする手法・考え方には、武力による平和、外交による平和、法による平和、道義による平和、経済による平和、民主主義による平和、市民交流による平和、国連による平和など多くあります。これらはいずれも憲法を守りつつ実施できます。最初の武力による平和も、個別的自衛権として行うのであれば、日本の憲法に反しません
(ただ「国連による平和」の中で、集団的安全保障として武力を行使する場合は憲法との整合性が議論になってきます。ここは違憲か合憲か、はっきりしていません)

 安倍内閣は、これらの多様なやり方を全部、最大限実施したでしょうか。そうやったが、効果はないという状況なら、そこではじめて最後の手段としてやむを得ず、憲法に反した手段しかないという状況、つまり二者択一の状況におかれます
。しかし現実はそうではありません。安倍内閣が「外交による平和(とくに中国、韓国、北朝鮮などの近隣国への外交)」をはじめ、さまざまな手段を十分に取り尽くしたとは、とてもいえません。まだまだ憲法を守って日本の安全も守れる手段がある、つまり両立できる可能性があるのに、早々に二者択一だと考えてしまうのは軽率というしかありません。

 

■正規に憲法を改正する時間的余裕はないのか

ここでA君は反論があるかもしれません。「今から全部の手段を尽くそうとしても効果が出るには時間がかかる。それを待っていられないでしょう」と。確かに多くの手段があるものの、すぐに効果は出にくいかもしれません。とはいえ、逆に今すぐ日本が憲法に違反してでも即応しないと、日本に甚大な被害が生じるほど切羽詰った一大危機に、私たちは直面しているでしょうか。来週、来月にでも離島が奪われ、ミサイルが日本に落ちるような切迫した大惨事は予想されにくいと思います。もちろん突発的な事件はありえますが、そうしたすべての可能性まで言い出せば切りがありません。極端に切羽詰っていない以上、少なくとも今回、無理に強行採決しないで国会を延長するなり、継続審議にするなりの時間的余裕は明らかにありました。


 また23年の時間を想定すれば、正規の手順を踏んで憲法を改正することも可能です。改憲して自衛軍が誕生し、集団的自衛権の行使も明文化されたら、大手を振って今回の安保法制を実施できます。「いや、正規に改憲をするほどの時間的余裕はないでしょう」という反論もありえますが、ただこの点を安倍内閣は説明していません。そこまで待てない状況ということを具体的にしっかり説明してくれるなら、やむをえないという理解もありえます。しかし、そもそも安倍内閣はあくまで「今回の安保法制は合憲」という立場ですから、「違憲だが、やむをえないのだ」という趣旨の説明はしないのです。市民の立場からすれば、きちんと説明を受けていないまま憲法だけ破られる感じになるので、納得できないわけです。

 

■国際情勢は今、憲法を破らないといけないほど切羽詰っているのか

そうすると、ここで別の反論がありえます。「いや、政府が説明してないとしても、昨今の国際情勢を見れば、数年のうちに中国や北朝鮮が何かやりかねないのは、明白でないか」と。ここは確かに議論のしどころです。専門家の間でもYES・NOは分かれます。私見を言えば、北朝鮮は核・ミサイル開発を進めますが、その意図は“金王朝”の維持にあり、旧ソ連のように世界制覇を狙っているわけではありません。アメリカに対する自衛目的で威嚇はするものの、実際に使う可能性はかなり低いでしょう。朝鮮半島有事になれば日本への悪影響もありえます。しかし周辺の大国、米中露は朝鮮半島の分断・固定化が基本的に自分たちにとって都合よいと判断していますので、日本を含めた周辺国が北朝鮮を極端に追い詰めない限り、当面、現状維持で推移するように想定できます。


 中国
は大きな争点です。日中、米中の全面戦争は考えられませんが、尖閣諸島を含む東シナ海、南シナ海における中国の膨張主義的、冒険主義的行動が、偶発的、局地的な軍事衝突の危険度を上げています。中国政府は慎重だとしても軍部の独走が心配です。確かに中国への対応は重要で厄介でありますが、それゆえ、取りうる多くの手段を動員するほうが賢明です。その手段の一つとして、対中国抑止のために日本の集団的自衛権の行使が必要となる状況もありえるでしょう。しかし少なくとも今のタイミングで、憲法に違反してでも中国を押さえるために緊急に集団的自衛をしないといけないという状況にはないでしょう。むしろ合憲である個別的自衛権の強化によって尖閣などの離島防衛に尽力するほうが即効性があるでしょう。しかし安倍内閣は離島防衛の法整備を今回していません。23年のタイムスパンを取れば、外交による平和、法による平和、道義による平和、経済による平和、市民交流による平和などの効果が期待できます。それでも政府がやはり数年後には集団的自衛権の行使が必要と考えるなら、平行して、正規の憲法改正の手続きを進めればよいのです。

 また、ISなどによるテロ活動も脅威ですが、歴史的、構造的な背景に根ざしているため、即座に撲滅できたり自然に収束することは当面ないと見られます。そして集団的自衛による抑止効果はテロ集団には効かないとされます。抑止は相手が合理的な国家主体なら効きますが、テロ集団は非合理でありまともな国家を持たないからです。なので、憲法に反して急いで集団的自衛権を行使してもテロ対策には意味が薄いと言えます。


 このように国際情勢を考えると憲法を破ってでも集団的自衛権などを行使するのは「今でしょ」と断定できるような状況には、必ずしもないと言えます。(続く)



■そもそもなぜ憲法をそこまで大事にするのか

それでも反論がありえます。「いや、今すぐ切羽詰っていないとしても、万が一に備え、できるときにつくっておけばいいではないか」。あるいは「そんなに切羽詰らないと憲法は破ってはいけないのか。憲法を重く見すぎでないか」。この種の反論の根底にあるのは、憲法に対する軽視です。では、憲法はどの程度、大事なのでしょうか。少し長くなりますが原点から確認していきましょう。


 学校で憲法を繰り返し学んでいますから、A君も今の憲法の三大原則は知っていますよね? そうです、国民主権、平和主義、人権の保障です。しかし憲法の存在意義、つまりそもそも憲法はなぜあるのか、と聞かれて即答できますか。この「なぜあるのか」がわかると、それが「どれくらい大切か」がわかります。


 まず、政治から振り返ります。複数の人間がいれば必ず利害の対立が生じます。それは時に殺し合いにもなります。社会で暮らしていくうえで殺し合いが起きては困るので、利害対立を調整する仕組みがいります。リンゴの実一つを取り合って殺し合っているAとBがいるとしましょう。そこに村の長老Cが止めようと来て、独身のAは三分の一、家族のいるBは三分の二持って行けと提案します。しかし一個全部が欲しいABは不満ですから殺し合いをやめません。ここでどうすれば殺し合いは止まるか。ABが分割案を受け入れれば止まります。つまり、嫌がるABに無理やり「わかりました」と言わせる強制力がいるわけです。例えば長老は強い武器を持っているから、あるいは長老は偉い人だから逆らえないという大きな力です。これを権力と言います。だから利害を調整し対立を収めるには、①価値の配分(リンゴを分ける)と、②権力(長老に逆らえない)という要素が必要なのです。こういう社会における利害調整の仕組みが政治なのです。ここでは長老Cが村の政治を行っているわけです。


 このように政治をするうえで権力は必要ですが、国家としての政治において、国家の権力は圧倒的な強制力を持ちます。それを行使するのが神様なら心配いりません。しかし実際は人間です。人間である以上、無能な人や邪悪な人がいます。そんな人が国家権力を振り回したら、私たち市民はひどい目にあいます。国家権力が濫用された最悪のケースがナチスドイツのホロコーストです。だから私たち市民は国家権力が暴走しない仕組みを持たねばなりません。実はその一つが憲法なのです。つまり憲法は政府が権力を振り回して勝手なことをしないよう、市民が政府に対して縛りをかけているわけで、この仕組みを「立憲主義」といいます。具体的な縛りとしては、たとえば政府は戦争をするな、特定の宗教に肩入れするな、人権を保障せよなどがあります。立憲主義は、いわば国家権力という「猛獣」が暴れまわらないように憲法という「檻」に入れておくわけです


 憲法は私たち<市民が国家に対して>「あーしろ」「こーするな」と命じている規範です。憲法以外の一般の法律は<国家が市民に対して>命じるのですから
(たとえば市民は消費税を8%払えとか)、方向が正反対なんですね。なので、憲法は普通の法律とは全く性質が違うのであり、それゆえ一般の法律を超えた重要性を持っているのです。こうした立憲主義の考え方は、昔、ヨーロッパで王様がやりたい放題やっていた時代、ひどい目にあわされた市民がその暴政から自分たちを守ろうとして考え、実行し、いまや世界で普遍的に取り入れられています。民主主義の国では基本中の基本の原則です。

 このように、憲法がなぜあるのかという理由、つまり私たち市民が国家権力によって虐げられないよう政府を縛るためにあるとわかると、憲法は私たち市民の生命と自由、暮らしにおいてなくてはならないものと実感できます。逆に政府の立場では、憲法の縛りは手かせ足かせに感じますから、なるべく縛りから逃れて、自由に国家権力を行使したくなります。しかしそれを許したら私たちは「猛獣」=国家権力の餌食になりかねません。だから市民の立場では、最大限この憲法と立憲主義の仕組みを守らないといけないわけです。上述の反論にあるような、憲法を軽視し、簡単に何かと引き換えに憲法を譲ってしまうような考え方は、私たち自身が自分の首を絞めている愚行にも等しいのです。

 

■憲法は国家権力という「猛獣」を押し込める「檻」=この「檻」を破る政府の怖さ

 ツイッターでは「憲法残って国滅ぶ」という言葉がありましたが、前提がまちがっているわけです。今は日本という国が滅ぶほどの切羽詰った状況ではないからです。なので、憲法に反してまで安保法制を無理につくる必要はありません。憲法の範囲内で、できることは多々あり、それらに尽力すれば国際情勢に対応できます。万が一、国が滅ぶといけないから念のためという程度では、憲法を破る理由に到底なりません。憲法の存在意義-つまり国家権力を縛り、市民が暴政に苦しまないために-を知るなら、私たち市民は自分たちの生命、自由、暮らしを守るために、万が一という程度の条件と引き換えに、軽々に憲法を譲るなんてできないからです。どうしても政府が必要と考えるのであれば、そんなに切羽詰った状況ではないのだから、数年かけてしっかり市民に説明し、正当な手順を踏んで憲法を変えればよいのです。

 それを、今回のように世論調査で8割の人が説明不足と感じている中、憲法違反が濃厚な法案を、拙速に強引に通すなんてのは、まさに「猛獣」が「檻」を破る所業そのものです。憲法に縛られない政府がもたらす社会では、「猛獣」がほしいままに暴れます。前の手紙で書いたように、そんな社会ではいくらA君がまじめにがんばっていようが、非力な庶民が襲われたらひとたまりもないのです。そうならないうちに、私たちは直ちに行動しないといけません。政治を変えないといけません。またしても長い手紙を読んでもらってありがとう。憲法の大切さと今進んでいる政治の怖さが、ある程度わかってもらえたらうれしいです。では、また。

草々

2015年10月7日

饗場 和彦(徳島大学教員)

(終)

ゴーマンでなくギマンでなく-中間派の人向け「安保法制」論
no.2=「戦争反対」は大げさでないか)

 

安保法制に「反対ではないが、賛成もしにくい」という中間派の人は、まず安保法制の反対論にいくつか疑問を持ちます。反対派の人たちは「安保法制は『戦争法』だ。日本はまた過ちを犯すのか。誰も殺させない。戦争反対」などと主張しますが、中間派の人はここで首を傾げます、「大げさなんでは?」と。今回はこの疑問を考えます。

 

■安保法制で日本はまた戦争をするのか

安保法制によって戦争が再発するから反対という「戦争再発反対論」は、戦争を経験した年配の方たちや社民党、共産党、労働組合の人たち、あるいは憲法9条の護憲運動に長く関わってきた人たちから、よく聞かれます。ここには少なくとも三つの要素があります。一つは安倍さんは戦争をする気なのか、という点。安倍さんは戦争するなんて一言も言っていません。あくまで日本の平和と安全のためにこの法制をつくると再三、繰り返しています。「信用できない」と言ってしまえばそれまでですが、根が善人の中間派の人たちは、はなから悪意で人を決めつけるのはどうか、とも思うのでしょう。

もう一つの要素は、昔のような戦争がまた起きるのか、という点。中間派の人ももちろん70年前の戦争がいいとは思っていませんが、アジアを侵略し、アメリカと死闘するような戦争が今の時代、起きるとも思えないのです。高齢者の方の戦争経験談にも大変同情しますが、同じことが自分たちにも振りかかるとはやはり想像できにくい。だからまた戦争が起きるぞと、反対派の人が言ってもぴんと来ないのです。

三つ目はいわゆる「レッテル貼り」でないのか、という点です。社民党の福島みずほ議員が国会で「これは『戦争法案』だ」といったら、安倍首相は「レッテル貼りだ。矮小化している」と反発しました201541日、参議院予算委員会での質疑)。確かに戦争法と一蹴してしまうのは単純すぎる気もします。

このように中間派の人は「戦争再発反対」論に、嘘っぽい、大げさな文脈を感じて、そこにギマン(欺瞞)を覚えるようです。さて、これらの論点、どう考えるとよいでしょうか。

 

■目的としての戦争・手段としての戦争

まず、最初の点、安倍さんは戦争をするのか。「安倍さん、戦争したいのですか』と聞けば、当然「自民党で誰もそんなこと思っている人いませんよ」と答えます(インターネット配信番組「安倍さんがわかりやすくお答えします!平和安全法制のナゼ?ナニ?ドウシテ?」)。ここで大事なのは、戦争を「目的」と「手段」に分けて考えることです。昔も今も、戦争を「目的」として、やりたがる政治家はまずいません。よくあるのは戦争を「目的」でなく、「手段」として行うケースです。つまり、国益という「目的」のために軍事力という「手段」を使うわけです。確かに安倍さんも自民党も戦争自体を「目的」としてやりたいわけではないでしょう。安倍さんは日本の安全という「目的」のために、集団的自衛権の行使を始め自衛隊の軍事力を「手段」として活用したいわけです。軍事力の活用と戦争は必ずしも同じではないですが、安倍さんはこの法制によって、明らかに「手段」としての軍事力を重視し、多用しようとしています。つまり「安倍さんは目的として戦争をする」という見方は間違いですが、「安倍さんは手段として軍事力を多用するという意味において戦争をする」という見方なら、的を射ているわけです。言い方を変えると、目的という点から見れば政府が言うように確かに「平和安全法制」ですが、手段という点から見れば「戦争法」なのです。そう考えると、「これは『戦争法』だ」という反対派の主張は半分、当たっているわけです。

 

■弱い市民が強い国家に向き合うときの基本姿勢は「不信」

また、安倍さんをはなから信用しないという姿勢はどうでしょうか。人を信用するかどうかという問題は、<市民vs市民>の場合と、<市民vs政府>の場合とで、違ってきます。一般の市民同士では道徳的にも功利的にも相手への信用は大切です。しかし、市民と政府の関係においては、その権力関係の非対称性ゆえに、市民が政府に向き合う場合、不信の姿勢が基本であるべきなのです。つまり、政府が持つ圧倒的な国家権力の前で、市民は致命的に脆弱であるため、常に国家権力の行使に対し警戒と心配、不信の念で当たるほうが安全なわけです。たとえば獰猛な猟犬がいる家の前を通るとき、その飼い主を信用せず、鎖が外れているかもしれないと警戒していると、万が一襲いかかられてもすぐ防御や逃避ができるのと同じ感覚です。なので、国家権力の最悪の行使である戦争が議論になるとき、何度も痛い目にあって骨身にしみている市民としては、わずかでもその危険が推測できるならば、徹底した不信感をもって政府を警戒するという姿勢は、市民の立場ではきわめて自然な、また不可欠のスタンスといえるのです。結果として杞憂に終わることも多々ありますが、杞憂ということは戦争など起きなかったわけですから、もとより、それに超したことはありません。こう考えれば、安保法制に反対する人たちが安倍さんをはなから信用しないのは、戦争という問題設定で市民が政府に向き合うとき、至極当然の姿勢といえるのです。

 

■70年前のような戦争はおきにくい

もう一つの要素、昔のような戦争がまた起きるのか、という点はどうでしょうか。結論から言うと、国際政治学の研究者の間では、日中戦争や太平洋戦争などの全面戦争が日本を含め欧米先進国間で起きるとはほとんど予測されていません。また日本と中国、アメリカと中国の間でも全面戦争の可能性はほとんどゼロと見られます。これは、相互依存が深化した経済関係があると戦争はペイしない(引き合わない)こと、核兵器の抑止力がきいていること、民主主義国同士では戦争の可能性が低いこと(中国は別ですが)などから説明されます。なので、この点で、安保法制反対派の主張として70年前の戦争をことさらに持ち出しても、印象としてズレを生むのは否めません。

ただ、全面戦争ではなく、偶発的、局地的な武力衝突やテロによる被害の可能性は小さくないと見られます。尖閣諸島を含む東シナ海、南シナ海における中国の膨張主義的、冒険主義的行動が、軍事衝突を招く危険度を上げています。また、ISISなどによるテロ活動は歴史的、構造的な背景に根ざしているため、即座に撲滅できたり自然に収束する類の事象ではないと見られます。なので、当面、世界のどこでもテロの不安が拡散すると懸念されます。こうした局地的な武力衝突やテロ活動に対して今回の安保法制がどの程度、有効なのかは別途検討します。いずれにせよ、「戦争再発反対」論で安保法制を批判するとき、70年前の戦争を前面に出しすぎると、中間派の人が違和感を持つのは順当な反応と考えられます。

 

■「貼る」行為が悪いのでなく「レッテル」が適切かどうか

レッテル貼りの点はどうでしょうか。レッテル貼りというと悪い印象が強いですが、「あなたは明るい人ですね」という言い方も良い意味でのレッテル貼りになります。ある問題について多くの情報があり多くの側面がある場合、その問題を効率的に把握、理解するには最も本質的な、象徴的な一面に全体を代表させるほうが合理的です。その意味で、レッテルを貼るという行為自体がはじめから悪いわけでなく、焦点はそのレッテルが適切なのか、という点にあります。安倍さんは「戦争法」というレッテル貼りはけしからん、と言っていましたが、自分は「平和安全法制」というレッテルを貼っているのですから、行為としてはお互い様です。そのレッテルが核心を的確に映しているかどうかが問われるべきですが、上述のように、手段の観点から見れば武力の強化を旨としている法制である以上、「戦争法というレッテル」は必ずしも的外れではありません

 

■「戦争反対」は大げさな感じはしても市民として不可欠な主張

このように考えると、安保法制に反対する人たちが「戦争反対」と訴えるのは、確かにずれている面があるとはいえ、基本的には有意義な主張であり、むしろ弱い市民の立場から強大な国家に対抗するという点では必要不可欠な意味を持つ訴えとして評価できるでしょう。(no.2終)

ゴーマンでなくギマンでなく-中間派の人向け「安保法制」論
no.1=序論・なぜ中間派の人が重要か)

 Bさんのつぶやき――。

「安保法制に反対の人は『戦争反対』とか言うけど、大げさでないか。そもそも中国の脅威にどう対応するのか。とはいえ、あれだけ憲法違反と言われたのに強行採決するのもどうなのか…。だから反対ではないが、賛成もしにくいというか…」。


 こういう煮え切らない人がわりといませんか。しかし優柔不断というよりはむしろ、健全な懐疑心というべきでしょう。短絡的に直感で賛否を決め付けない、思慮深い人。こういう人は、安保法制に反対する人々の主張に潜む、「ある種のギマン(欺瞞)」に気づいているのでしょう。あわせて、安保法制に賛成する人々の主張に潜む、「ある種のゴーマン(傲慢)」も見抜いているのでしょう。それゆえに、どちらにもくみできないのです。しかしそうは言っても、この賢明なグレー層の市民、普段は仕事などで忙しく、深く考える余裕もないから、結局自分の中ではあいまいなままになっていて、そうこうしているうちに919日、安保法制案は参議院で可決、成立してしまいました。


 この法制をめぐっては非常に多くの論点が示され、その賛否は大きな議論になりました。法制反対派の間ではこれまでにない形の市民運動が広がりました。しかし、SEALDsなどの学生団体をはじめ、前代未聞の反対運動が起きても、安倍内閣の支持率は落ちきりません。報道機関の世論調査ではしだいに下がったとはいえ、可決・成立時の支持率は30%台です。批判が強かった田中内閣、宇野内閣、森内閣の支持率は10%前後まで落ちていました。安倍内閣が押し込まれても徳俵で残っていられるのは、ぶれないコアな支持層があるのに加え
(経済政策に期待する人も含みます)、安保法制に「賛成というか、反対というか…」というグレーの人々がかなりおり、これらの人々が内閣不支持に回らないためと推測できます。確信もって安保法制に反対の人は3割ほど、確信もって賛成の人も3割ほど、そしてグレーの層が4割ほどではないでしょうか。


 どんな問題にせよ、なるべく多くの人が熟考して一定の結論に近づいた上で、決めるほうがいいですね。特にその問題が重要であれば、よけいにそうです。その点で今回の安保法制は、戦後の平和・安全政策を根底から変える大問題であるのに、多くの市民が賛成か反対か微妙なまま、国会で成立してしまったことは、法案の内容以前の大きな欠陥です。ただ、今回決めたのは国会議員であって、市民の立場では次の国政選挙で改めて可否を決めることができます。その意味で、まだ決着はしていないので、今後、グレー層の人たちは引き続き、安保法制の是非を考えられる状況にあるわけです。本コラムでは、中間派の人が判断に迷ういくつかの論点について考える材料を、何回かに分けて提供していきます。(no.1終)