入試不正って…… | 書き散らしの日々

入試不正って……

なんだかカンニング事件は大ごとになってますね。ていうか、ネットであれこれみる論調に、「入試制度がそもそも行き詰まっているのだ」とか、「カンニングした学生を警察に突き出すなんて、大学側からのリンチだ」といった反応があるのにはちょっとびっくりしてます。

曖昧な記憶を確認する手間を惜しんで書いてしまいますが、
私が大学に入った年だったかその次の年だったかに、同じ京大で入試不正事件がありました。医学部を目指して多浪していた受験生が、試験終了後に大学に忍び込んで自分の答案を書き直し、さらに合格者発表直前にもう一度忍び込んだら合格者一覧に自分の名前がなく、思い余って誰かの名前の上に自分の名前を書いた紙を貼り付けて御用になった、という次第であったと記憶してます。
いやあ、嘘みたいな話でしょ?私もこれはひょっとしたら自分の記憶違いか、さもなければどこか打ち所が悪くて妄想がとまらないだけなのか、ちょっと悩んでるのですが(^_^;)、当時話題にして「答案を書き直しても受からなかったなんて」と友人との話のネタにした記憶があるので、なにがしかそれに近い事件はあったのでしょう。

まあとりあえずそういうことがあったと仮定してみて下さい。この事件を聞いて、不正をした学生を大学が警察に突き出すことに違和感のある方はおられるでしょうか?あるいは「入試制度が悪いのであって、学生が悪いのではない」との感想を抱く方はおられるでしょうか?いらっしゃったとしても、その数はおそらく、今回の事件を聞いてそうした意見を抱く方よりはぐっと少ないのではないかと、勝手に想像してます。

何が違うのか?まあ私があれこれ意見をチラ見したのはネットの世界ですから、情報技術の一端を使った不正であるという点に同情的であるのかもしれません。ハイテクでカンニング、という部分で、どこかネットを使ってる自分とつながってる感じがするのかなあ?でも、やってることは今も昔もおんなじですよね。

あともうひとつ、何かことが起こるたびに、「制度が悪い」とか、「根幹を揺るがす」とか、そういう風に論じるのって、最近の流行ですよね。湾岸戦争ぐらいから?9.11テロのときには、「現実が虚構を越えた。もう文学なんて古いんだ」みたいなことを言ってた人もいました。(原爆ができたときにも、「大量殺戮が簡単になった時代に、もはや芸術は不可能である」なんてことを言った人がいましたから、それの焼き直しなんでしょう。)社会問題を考える時に、その問題の根っこを社会の仕組みに求めるという発想自体は正当なものだと思いますが、個々の事象はあくまで個々の事象です。(マスメディアの騒ぎは大きいけれど)こんな瑣末な事件を論じて「そもそも制度上の問題が」と論じるのは、私にはとんちんかんな態度に思えます。目の前の大火事を見て、「そもそも街区の整理がこの火事を引き起こした」とか大声で叫んでも、火を消したり人命を助けたりはできません。ついでに言えば、文学だっていっこうに消滅する気配はありませんぜ。

容疑を受けた受験生の扱いについては——試験がある限り不正を考える者は必ずいるもので、今回だってそのケースのひとつに過ぎません。ハイテクだろうがローテクだろうが、マスメディアは騒ぎ過ぎ。しかるべく処罰を受けて、また来年堂々と受験したらよろしい。


うう、〆切りをたくさんかかえているのに、こんなことをしてていいのか?それでは。