こんにちは。藍葉おと です。
9月になって、空に秋の色がありますね。雨も増えました。
さて自分史の続きを書きます。
小学校編。
一般的に、よく、子ども時代は自由だった、と言いますが、わたしは年を重ねるほど自由です。
子どもらしい無邪気さは、あまり覚えがありません。窮屈さやつらさ、無力感、理解できなさを多く感じていました。
母は完璧主義で、教育熱心で、厳しかったです。
3才から習い事をはじめて、小学生の頃は放課後はほとんど習い事で埋まっていました。
出来て当たり前、出来ないと怒られる。しかも、早く上手に出来ないと怒られる。
賞をいただいても、当たり前の空気で、自分でもそういうふうに思っていました。
やった!とか、嬉しい、と思ったことはなかったです。
きょうだいとも、けんかをするのですが、お互いに怒られないように保身するのに必死でした。
思えば、母もワンオペでヒステリックになっていたのでしょうね・・・
言うことを聞かせようと必死で、「(子ども達なんか)要らない」という言葉も出ており、このころ、「役に立たない、良い子じゃない人間は生きる価値がない」という刷り込みが起きた気がします。
そんなわけで、分かりやすい優しさや愛情よりも
厳しさ、恐さ、理解のできなさを前面に感じていて、いつ母が怒り出すか恐れていました。
良いことがあっても、喜べず、いつ悪いことが起きて台無しになるか、と構えていました。
どこに居たらいいかわからない、
どこが安心かわからない、
どうするのが正解かわからない
という感覚を、わたしはずっと抱いていました。
それがわたしの人生が拗れた大きな要因だったなぁと振り返って思います。(今は、その呪縛は解けています!ご安心を♡)
また、食が細いのが続いていて、
ご飯が食べられなくて、やっと食べては吐いてしまう、という毎日でした。
ごはんについては、親も心配で食べさせたいのもあって、必死になっていたので、ごはんの時間が地獄でした。
当時はまだストレスから来る症状などは知られていない時代でした。
父は7時や8時ごろに帰ってきていたと思うのですが、子どもはもうほぼ寝る時間であり、
何も知らないからわたしの状況は分かるはずもない、仕方ない、と思っていました。
母の観念は「子どもは自分の作品」でした。つまりは、自分の成果を図るものだったので、
出来が悪いと自分の価値が下がる。その恐れで、母自身も苦しかったと思います。
学校では品行方正、成績優秀で「どうしたらこんないい子が育つの」と先生方が口を揃えていう優等生だったのですが
母には物足りなかったようでした。
子どもはどうしたって親に認めてほしいと思う生き物なので
どれだけやっても認められないという状況はつらかったですね。
![ブーケ2](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/053.gif)
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そんな中、わたしを癒してくれたのが本と畑でした。
テレビも見ないし、同級生と話が合わず、あまり女子の友達もいなかったので、本ばかり読んでいました。
無邪気な男子のほうが、結構仲が良かったですね。
また家の周囲が田畑で、野原のような空き地もあったので、ひとりでそこへ行って、草花や虫と遊んでいました。
低学年では、クレヨン王国シリーズや、エルマーの冒険などのファンタジー冒険談が好きでした。
高学年では、佐藤さとるの『だれも知らない小さな国』以降の ”コロボックルシリーズ”にははまりました。
ガラスのミニチュアの物も好きだったので、小さな世界&自然の世界という、最高の舞台だったのです。
また、今はもう絶版のようですが
『ぼくらは地底王国探検隊』という本はものすごくワクワクしました。スピリチュアル好きの始まりかも(笑)
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心理的に、つらい時代でしたが、自分にこれらの記憶や経験があって、のちに心理学を学び、それから子どもが生まれて育てて
今、わたしは、すごく幸せな子育てができているし
子どもに、健気さや真面目さ、頑張りやさんなところなど、わたしに似たところを見つけると、本当に愛おしくて
子どもを通して幼い頃のわたしも愛して癒している、そんな気がします。
また、母は、お菓子も服も料理もたくさん手作りをしてくれたし、今振り返ると愛情もたくさんでした。
今回はここまで。
自分史シリーズはしばらく続きます。