すべてはひとちゅ by Noh Jesu(ノ・ジェス) | ビジネスに使えるスピリチュアルの専門家 吉武大輔 official Blig

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ビジネスに使えるスピリチュアルの専門家の吉武大輔です。現実的な成果を生み出す経営戦略と、精神的な豊かさや本質を追求するスピリチュアリティの両方をバランスよく統合したメッセージをお伝えしています。




Q.なぜこの世界に争いや憎しみが存在し、

 地球環境は破壊され、飢餓や貧困は広がり、
  
 本来、すべての人々が求めている「平和」という概念が実現されないのか。

 ぼくらは、どうやってこれからの未来を生きていけばいいんだろう。





■Answer


争いを止める方法は、判断基準の0化。

すなわち、【0ベース思考】


常に、自分の判断基準を、『0』であることで、

「自分」と「自分ではないもの」と無意識に分けていることに気づく。


判断基準が、「自分の認識できるもの」=「自分の世界」とすることで、

この世界に「存在している」ものを、「認識できない」ため、

「存在していない」という思い込みを生み出す。


その判断基準を生み出すのは、『意識』

部分→全体→完全、という広がりの中で、

意識が認識できるのは、部分でしかない。

意識とは、脳の認識の癖でしかなく、自分とは無意識に起こるもの。

その無意識の認識に捉われずに、0ベース思考であるには、

「意識」を生み出す「認識」を、【究極に柔らかくすること】。


そうすることで、

「自分」と「自分じゃない世界」という風に、分けてきたものに、

違和感を覚え、『すべてがひとつである』ことを認識しだす。

その認識に、体感覚が伴うと【ワンネス(Oneness)】を経験する。





人が幸せであるには、「自分がどういう時に幸せであるか」を知らなければならい。


それは、自分の『源』であり、

各々の源は、『観点』の違いによって生み出される。


ある人は、春を愛おしく想い、

ある人は夏を、ある人は秋を、ある人は、冬を愛おしく想う。


どれが正しいということは存在せず、

ただ、「観点の違い」から「価値観の違い」が生じるのみである。


だが、どれだけの人がその価値観の違いから争い、傷つけあっているだろう。


それに気づかない人たちは、自分の見えるもの(自分の観点のみ)を信じ、

自分以外の価値観(他者の観点)から、物事を観ようとも、信じようともしない。



人はあらゆる存在するものに、『名前(単語)』をつけることで把握する。


これは、「りんご」

これは、「犬」

これは、「つくえ」

これは、「人」


だが、その認識自体が曖昧で、各々の勝手な決め付けでしかない。


例えば、「雪」が降ってきて、「川」にとけて、「水」になり、「海」へと流れ出す。

では、元々、これはなんだったんだろう?

雪?川?水?それとも、海?

もしくは、水蒸気?原子レベルで見れば、水素?酸素?原子?核?

名前をつけることは、その状態によって変わっていく世界は結局相対性でしかなく、

本来の姿は、絶対性であり、【すべてはひとつ】であることに繋がっていく。


人が認識できる範囲内での出来事でしか、物事を理解できない場合、

その出来事がなぜ起こっていて、どのような原因と結果が存在するか。

そして、その認識すら錯覚であることに気づかず、

今の自分が認識できていない「本当の世界」を味わうことは出来ない。

それは、スピリチュアルなものでも、現実的なものでもなく、

『ただある』もので、人はそれを無意識に求めながら、同時に拒否し続けている。

この矛盾が、人の生きる意味なんだとわしは想います。



究極のヒトが生きる存在価値は、

【すべての存在を、存在させること】


それが、本当の『愛』であり、本当の『自由』なんだね。



【今ここ、この瞬間、心から最高に幸せだと感じて生きていくこと】





多くの人が望みつつも、望むことでそこからどんどん離れていくこの矛盾。

それは、『認識』という人間が持つ脳の機能がゆえに生まれるギフト。


脳に生きるのか、心(魂)に生きるのか。

もう、それを自由に選べる時代に来ていること。


これまでの世界では考えもできなかった新しい時代が始まる。

そして、この地球でその中心的な役割を果たしていくのが、『日本』。


日本の「わび」「さび」の心が、認識を超えたところで起こっている反応であること。

そして、【究極のリーダーシップ】のDNAを生まれ持って生まれた民族が日本人。


侍がお互いに立ち会っただけで、相手の状態や感情を感じ取る力。「氣」の力。

相手が「言っている」ことと、「言わんとしている」ことを同時に汲み取る力。

何も言われなくても、相手を察して、自然を動ける力。

調和や自然をこよなく愛し、支えあい、繋がって生きていく力。


これらはすべて、元々日本人が持っていて、

そして、これからの時代にとって何よりも大切な『鍵』になっていくものだと想う。





すべてを受け入れよう。


自分と自然の境界線なんて、本当はないのに、

なんでそんなに「自分」にこだわるの?


「自分」は、「自」然と「分」れた存在。


すべてがひとつであるなら、

なんで誰かを傷つけるんだろう。

環境を破壊するんだろう。


多くの人が、本当の意味で「すべては一つ」であることを知らないからかな。

それとも、そういうヒトはそういう生き物なのかな。


でも、「わし」は「わし」でしかないけど、「わし」が「すべて」でもあるのなら、

「わし」が変われば、きっと「すべて」も変わる気がするんだよね。


だから、多くの人がまず、自分を大切に生きていけばいいと想うんだ。

そして、ちょっとずつ「自分」という存在が拡がっていって、

「自分と自分の大切な人たち」が「自分」になっていって、

「自分と自分の大切な人たちと、大切な人たちの大切な人たち」が「自分」になって、

そうやって、「自分」が拡がっていって、

最後に「自分」に還ったときに、

『あぁー、やっぱりぜんぶ一つだったんだ』って思い出すんだと想う。



だから、まずはわしからはじめようと想う。

わしと、わしの大切な人たちが幸せであることに責任を持つことからはじめよう。


だって、

【すべてはひとちゅ】だから。






2010年1月19日(火) 

本気で未来のために語り合う会@目黒にて

大輔、久しぶりにワクワクして書き綴ったぐちゃぐちゃのメモから抜粋

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