別居。 | うつ病ではない!脳脊髄液減少症(漏出症)治った!

うつ病ではない!脳脊髄液減少症(漏出症)治った!

私が体験してきたことをお話してようかと思って、ブログ書いてみようと思います。
今、麻央さんや北斗さんなど、闘病ブログをやっていますが、芸能人のように影響を与えることはできないかもしれませんが、一人の人にでもわかってもらえるような、そんなブログにしたいです!

それから旦那とはしばらく別居。
旦那も実家が近かったので、
お互いに実家暮らし。

私は父に甘えて、
ご飯作らなくても良い、
送り出すことをしなくても良い、
好きなときに寝て好きなときに起きて、
犬とも毎日戯れる♪

幸せですよね♡

まぁそれでも治ることはなくてw
どんどんと時間は過ぎ、
ある日旦那と電話で喋っていると

『今の状態はどーなの?治ってきてるの?』

『治ってきてないよ、楽なときはあるけどね!』

『ちょっとでも家に帰ってきて、
 一週間に一度でも良いから一緒に住めない?』

『うーん。
 また行ってもおんなじことの
 繰り返しのような。理解もされてないしね。』

『ぢゃあ病院行って説明聞くよ!
 一緒に行こうよ!親からは一緒に住めないなら『離婚』もありかもね。って。』

『はぁ?
 何で親にそんなこと言われないかんわけ?
 健康ぢゃない嫁はいらんてこと?
 うーん、もう遅いんだよね。』

確かこんなことを繰り返した。

今から病院一緒に行くからって言われたって、
私にはすでに遅かった。
何でもっと早く行ってくれないの?
って。

旦那の母親は夜勤もある旦那の洗濯とかご飯とか
そーいったのが嫌になってきたみたいで。
私に帰ってこんのかと聞いたみたい。

正直今思えば逃げてきたのかもしれんね、私。
その時はダルさに必死だったから、
とにかく救われたいと、実家に戻ったけど。

旦那の親は『治らないならいらん。』
と、
どーゆう風に言ったかは、
濁されたけど、
こんな感じのことを言ったみたいだね。
お荷物でしかなかったみたいだね。
それを聞いて、もう結婚生活は無理だと
『ぢゃあ離婚しよ!』
って私が言い、話が進んでいきました。
最初に離婚の〝離〟の字を出したのは、
旦那でも私でもなく義両親でしたけどね。


つづく。