「対人関係の再考 」中日新聞より | IALACのブログ

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仕事をめぐって「人と感じよく接する力」が求められる。就職活動では資格や個性より「コミュニケーション能力」が要求される。
入社後も、上司や顧客から「感じの良い人だ」と思われてるかは人事評価に作用する。非正規社員、短期で代わる職場に早くなじむ必要があり、対人能力が求められる。
こうした状況は、対人関係にしんどさを抱える人にとっては、生きづらい。
たとえば、不登校やひきこもりなどの経験を持ち社会とのつながりにくさを覚える人。
いじめや不適切な養育の被害者で他者への不信が根強い人。
アルコール依存や接食障害などを抱える人・・・。
これらの人びとは「ナチュラルで感じよく」が得意ではない。がんばれば「感じよく」はできるが、疲れて長続きしないし、取り繕っている感じがばれて評価されなかったりする。
だからといって「ナチュラル」でいると、「変な人」とみなされやはり評価されない。
低い評価は本人を傷つけ、その結果ますます対人関係に及び腰になる「悪循環」にはまってしまう。
マニュアルも叱咤激励も、この悪循環を強化するだけだ。
そんな経験抱える人びとが集まって、四年前、関西で「生きづらさからの当事者研究会」を始めた。
私はそこでコーディネーターをしている。
テーマはさまざまで「承認されるとは?」「評価のまなざしの再検討」など。
自分が抱える生きづらさを場に集う仲間と共有し、「研究テーマ」として少し突き放して見ながら、生きる方法を考える。
「対人能力を磨く」ことを目指すのではなく、また「このままの状態でいい」と開き直るのでもない。自分が何にしんどくなっているのか、どうすればましになるのかを自分や他の参加者の経験から具体的に探っていくのだ。
事はいうほど簡単ではない。他者や社会に対する不信感が根深ければ、自分の経験を開示するハードルは高くなる。逆に、自己をさらして「人と共有できた!」と思ったあとで思わぬしんどさに見舞われたりする。「それをやったら正社員になれるのか」と言われれば、答えはノーだ。
それでも私はこの営みに、重要な二つの点があると思っている。ひとつは、当事者が「私には自分の問題にみずから取り組む力がある。それを助けてくれる人がちゃんといる」と思えること。
もうひとつは、「ナチュラルで感じよく」以外のコミュニケーションを具体的な場を通じて実感できることだ。
一見、人間関係や社会からの撤退と映る行為でも、時に「人や社会とつながりたい」という希望のねじれた表現である場合がある。しんどさを抱える人は「対人能力のない人」「コミュニケーションが嫌いな人」ではなく、繋がりたいと望みながら「こんなコミュニケーションは嫌だ」と思っているひとかもしれない。
人と感じよく接する力がなくても、豊かなコミュニケーションは達成できる。そう実感できる場の存在は、この社会における「コミュニケーション」という言葉に深みを与えるのではないか。「悪循環」を断ち切るには、そこから始める必要がある。