12月6日。
入院7日目です。
本当はこの日に退院する予定でした。
この日は、手術後初めて、3時間ほど眠れました。
早く離床するために昼間はベッドに横にならないように言われていたので、初めてゆっくり休めた気がしました。
朝目覚めたのは、隣のベッドの甲状腺がんのおばちゃんと看護師さんの会話だったと思います。
おばちゃんは甲状腺だけでなくリンパ節も切除していて、前日にドレーンを抜いて血液やリンパ液の行き場が無くなったからか、顔と首がパンパンに膨らんでいました。
おばちゃんは翌日に退院を控えていましたが、延期になり、落ち込んでいました。
●6時
採血2本。
この結果が良ければ、点滴を外せるという話だったと思います。
後日聞いたこの時の結果は、『カルシウムが低い、血小板分布幅が高い』という正常値ではないものがありましたが、大丈夫でした。
朝の体温は36.6度。
しびれは前日ほどではなくなっている感じでした。
●執刀医だった②番先生と話
目の神経は首のところだけど、甲状腺の後ろにあるから全然さわっていない。
一過性であれば、一年はかからないと思う。
ここで先生に上を向くように言われました。
上を向くと、右目の大きさが極端に小さくなっている様子が顕著にわかるそうです。
目の茶色い部分が縮んでいるだけでなく、右目全体も小さくなっていました。
一番若い、④番先生も一緒にいらっしゃったのですが、去り際に『昨日より良くなってますよ。』と言ってくださいました。
それに気を良くして、ウキウキでデジカメで顔の写真を撮ってみました。
が、やっぱり左右の目の大きさが全然違っていて、ため息。
●点滴外れる
5日間していた点滴が外れました!!
この病院の点滴は、点滴を管理する機械がついていて、トイレや電話に行く時以外は、ベッド横のコンセントにつないでおかないといけません。
抜く時には、ピーッピーッと大きな警告音が鳴ります。
夜中は、やっと眠りに入れた人を起こすのではないかとトイレに行くのは勇気がいりました。(>_<)
そして、抜いたまま30分位経つと充電が減り、大きな警告音が鳴り続けるので、電話していても急いで病室へ戻りコンセントへ。
まさにベッドにつながれているような感じ。
解放されてとても嬉しかったです。
●久しぶりのシャワー
昼過ぎに咳喘息が出て、吐きました。
そして、点滴が外れたので、3時過ぎに手術後初めてのシャワーへ。
手術痕にはテープのようなものがはられていて、濡らしてもいいといわれましたがドキドキでした。
シャワーの予約が混んでいて、80代のおばあちゃんと一緒でした。
いろんな手術をされているそうで、たくさんの手術痕がありました。
上がる時、おばあちゃんはタオルを忘れていて、身体を拭かずに行こうとしていたので、私が持っていた予備のタオルを貸してあげました。
夜にタオルを返しに来てくれた時、病気と闘って頑張ろうとみんなで励まし合いました。
私はシャワーを浴びている時から、せき喘息が出て吐きそうだったので、急いで着替えて病室へ戻りました。
病室に駆け込んで、自分のベッドの上に置いてあった嘔吐物を入れる容器に吐きました。
そのあとも延々と吐き続け、容器では足りなくなってゴミ箱を抱えて吐き続けました。
肺がんのおばちゃんは、看護師として30年以上働いて来られた方なので、テキパキと私の世話をしてくれました。
おばちゃんたちと母が、まだシャワーは早かったんじゃないの?と話していました。
気分が悪く、まだ吐き続けていましたが、髪が濡れたままでは良くないということで、母に乾かしてもらいました。
いつまで経っても手がかかる娘で申し訳ないと思いながら、乾かしてもらいました。
●主治医とお話
主治医の先生が来られたので、右目のかすみがひどく、まともに見えないことを伝えました。
『物が二重に見えたり、光をまぶしく感じると思うが、視力自体が落ちているわけではない。申し訳ないが、薬を飲んで様子を見ましょう。』とのことでした。
先生は目をのぞきこんで、『充血していますね。』ともおっしゃいました。
●夜
体温37.0度
④番先生が来られて、調子はどうかを聞いたあと、『時間が薬になると思います。』と言ってくれました。
④番先生は、研修医かなという感じでしたが、慣れないなりに励まそうと声をかけてくれているのが伝わりました。
翌日に私の退院が決まり、夕食後にみんなでいちごと葡萄を食べて送別会。
前日まで、肺がんのおばちゃんが『いちご、いちご』とうわごとのように言っていたので、母がみんなで食べるようにいちごと葡萄を持ってきてくれたものでした。
いちごと葡萄の写真を撮り、それぞれがお見舞いでいただいたお花を写真に撮り合いました。
そのあと、お互いの顔の写真も撮りました。
肺がんのおばちゃんは、両手でピースして、満面の笑みを浮かべていました。
甲状腺がんのおばちゃんは、映りたくないと逃げたので、後ろ姿だけ(^^ゞ
年賀状を送り合おうと、みんなで住所の交換もしました。
最初は閉め切っていたベッドを仕切るカーテンも、すぐに肺がんのおばちゃんに開けられてしまうので、最後は就寝時間まで全開でした。(笑)
おばちゃんたちがいなければ、もっと精神的に辛い入院生活になっていたと思います。
同じ時に、たまたま同じ病室になって知り合えたおばちゃんたちとの出会いに、感謝しました。