去年の11月30日から12月7日まで、バセドウ病で内視鏡下甲状腺準全摘術を受けるために入院しました。
その記録です。
★★★★★
12月3日、手術の翌日です。
朝の熱は37.3度。
血圧は90/47でいつもと変わらず低い。
基礎体温計をくわえることはとても無理で、不妊治療開始以来初めて、測るのをやめた。
朝食は無し。
手術してくれた②番先生が来られて、体調を確認。
声は異常なほどにかすれまくっていて、絞り出すようにして『はい』と言うのがやっと。
棒か何かを飲み込んだままなんじゃないかというような痛みと違和感。
『水を飲んでみようか?』と言って、先生が水を持ってきてくれました。
紙コップに入った水を、先生に見守られて緊張しながら一口飲み込んでみる。
先生が、『すごい!一回でうまく飲み込めたね。』と言ってくれた。
水が飲み込めたので、薬を飲む許可と昼食の許可が出ました。
●10:00
③番先生が来てくれた。
私は乳腺・内分泌外科なのですが、この先生は乳腺の方の先生です。
少し話して、先生が急に黙りました。
『眠いの?目を閉じているけど・・・。』と言って、私の顔をじっと見ている。
『眠くはないんですけど、まぶたが重い感じがします。』と答えました。
乳腺の方の先生だからか、『そうですか』とだけ言って終わりました。
私もまだ、いまいち状況を理解していませんでした。
今思えば、執刀医の②番先生が朝一番に来てくれた時に言えていたら良かったなぁと思います。
②番先生もちゃんと体調を確認してくださったのに、熱と頭痛のせいで右目が開かないと思っていたので、伝えることを思いつきませんでした。
乳腺科の先生に指摘されて、急に不安になってきました。
●11:30
点滴している左腕が腫れて、右腕に刺し直してもらいました。
尿管が取れたので、点滴を引き、ドレーン液の入ったポシェットを首からぶら下げて、看護師さんとトイレまで歩く練習をしました。
トイレの鏡で、手術後初めて自分の顔を見ました。
鏡の中の自分は、別人の顔になっていた。
現実を突き付けられ、落ち込みと焦りの感情が出てきました。
看護師さんに右目のことを言ってみると、③番先生と話をされたそうです。
看護師さんの意見なのか、③番先生と話された内容なのかわかりませんが、「ドレーンの管が胸元に入っているため神経に影響しているのかも」とおっしゃいました。
その時は、ドレーンを抜けば良くなるのかもしれない、そう信じたいと思いました。
手術したのが金曜日で、土日は私の主治医が病院にいらっしゃらなかったらしく、右目が開かない事実があってもそれ以上の進展はありませんでした。
主治医と話せないことで、ますます焦りと不安が募っていきました。
●12:30
ベッドの上で1日半ぶりの食事。
おかゆ、豆腐のすまし汁、大根のとりそぼろあえ、魚の照り焼き、青梗菜とコーンの付け合わせ、ヨーグルトなど。
少し食べるのがやっとでした。
飲み込むことや声を出すことが、ものすごく大仕事に思える。
●14:00
看護師さんがやってきました。
体温36.9度、血圧120/70
右目がやっぱり開きませんと伝えました。
この頃になると、頭の中は右目のことでいっぱいでした。
★★★★★
母が来てくれました。
母には一応、右目が開かないことをサクッと伝えました。
その後、同じ病室の肺がんのおばちゃんと母が意気投合。
私と甲状腺がんで手術したおばちゃんの二人は声を出すのがきついので、たまに返事をする程度でしたが、ベッドに腰掛けてみんなで会話していました。
その時なかなか右目が開かない私を見て、母が『目を開けるのがきついのね?もう無理に開かなくていいから閉じておきなさい。』と言いました。
肺がんのおばちゃんに、右目が開かないらしいと母が説明していました。
右目を開くことを諦めて横になりました。
そのあと土曜で仕事が休みの旦那さんが来てくれました。
届いたばかりのマッキーのファンクラブの会報、そしてラッキーにそっくりな魔女の宅急便のジジのぬいぐるみも卵管手術の時と同じように持ってきてくれました。


ジジのぬいぐるみの写真を旦那さんに撮ってもらった後、今度は私の顔の写真を撮ってもらいました。
デジカメの画面に映し出された自分の右目。
鏡よりもさらに客観的に見ることができるので、辛かったです。
それからしばらく、何かに追われるように、毎日自分の顔の写真を撮り続けました。
●18:00
夕食は、おかゆ、肉じゃが、みそ汁、サラダなどでした。
そのあと、看護師さんが身体を拭いてくれて、手術衣からパジャマに着替えました。
夜の体温は、37.3度。
手術後から退院するまでずっと氷枕をしていました。
冷たいので痛みが紛れることと、普通の枕よりもやわらかく、違和感の強い首にとってちょうどいい高さに調節できて、熱が下がってからも手放せませんでした。
就寝時間になっても、首の締め付け感や手術あとの痛み、のど付近の痛みや違和感、右目が開かない不安、咳きこんだりで眠れませんでした。
横になると右腕から右足にかけてビリビリとしびれて気持ちが悪いので、朝までベッドのふちに腰掛けていました。
もしこのまま右目が開かなかったらどうしよう。
心臓手術の時ほどではないけど、思っていたより痛いしきついし、こんなに苦しい思いをするなんて、甘く見ていた。
こんな目になってまで手術を受けたのは間違いだった。
いろんな思いが駆け巡り、自分を責めました。
(この時点での気持ちです。TRAb抗体が高いと薬で良くなっても再発しやすいというのを読んで、今は手術を受けて良かったと思っています。)
その記録です。
★★★★★
12月3日、手術の翌日です。
朝の熱は37.3度。
血圧は90/47でいつもと変わらず低い。
基礎体温計をくわえることはとても無理で、不妊治療開始以来初めて、測るのをやめた。
朝食は無し。
手術してくれた②番先生が来られて、体調を確認。
声は異常なほどにかすれまくっていて、絞り出すようにして『はい』と言うのがやっと。
棒か何かを飲み込んだままなんじゃないかというような痛みと違和感。
『水を飲んでみようか?』と言って、先生が水を持ってきてくれました。
紙コップに入った水を、先生に見守られて緊張しながら一口飲み込んでみる。
先生が、『すごい!一回でうまく飲み込めたね。』と言ってくれた。
水が飲み込めたので、薬を飲む許可と昼食の許可が出ました。
●10:00
③番先生が来てくれた。
私は乳腺・内分泌外科なのですが、この先生は乳腺の方の先生です。
少し話して、先生が急に黙りました。
『眠いの?目を閉じているけど・・・。』と言って、私の顔をじっと見ている。
『眠くはないんですけど、まぶたが重い感じがします。』と答えました。
乳腺の方の先生だからか、『そうですか』とだけ言って終わりました。
私もまだ、いまいち状況を理解していませんでした。
今思えば、執刀医の②番先生が朝一番に来てくれた時に言えていたら良かったなぁと思います。
②番先生もちゃんと体調を確認してくださったのに、熱と頭痛のせいで右目が開かないと思っていたので、伝えることを思いつきませんでした。
乳腺科の先生に指摘されて、急に不安になってきました。
●11:30
点滴している左腕が腫れて、右腕に刺し直してもらいました。
尿管が取れたので、点滴を引き、ドレーン液の入ったポシェットを首からぶら下げて、看護師さんとトイレまで歩く練習をしました。
トイレの鏡で、手術後初めて自分の顔を見ました。
鏡の中の自分は、別人の顔になっていた。
現実を突き付けられ、落ち込みと焦りの感情が出てきました。
看護師さんに右目のことを言ってみると、③番先生と話をされたそうです。
看護師さんの意見なのか、③番先生と話された内容なのかわかりませんが、「ドレーンの管が胸元に入っているため神経に影響しているのかも」とおっしゃいました。
その時は、ドレーンを抜けば良くなるのかもしれない、そう信じたいと思いました。
手術したのが金曜日で、土日は私の主治医が病院にいらっしゃらなかったらしく、右目が開かない事実があってもそれ以上の進展はありませんでした。
主治医と話せないことで、ますます焦りと不安が募っていきました。
●12:30
ベッドの上で1日半ぶりの食事。
おかゆ、豆腐のすまし汁、大根のとりそぼろあえ、魚の照り焼き、青梗菜とコーンの付け合わせ、ヨーグルトなど。
少し食べるのがやっとでした。
飲み込むことや声を出すことが、ものすごく大仕事に思える。
●14:00
看護師さんがやってきました。
体温36.9度、血圧120/70
右目がやっぱり開きませんと伝えました。
この頃になると、頭の中は右目のことでいっぱいでした。
★★★★★
母が来てくれました。
母には一応、右目が開かないことをサクッと伝えました。
その後、同じ病室の肺がんのおばちゃんと母が意気投合。
私と甲状腺がんで手術したおばちゃんの二人は声を出すのがきついので、たまに返事をする程度でしたが、ベッドに腰掛けてみんなで会話していました。
その時なかなか右目が開かない私を見て、母が『目を開けるのがきついのね?もう無理に開かなくていいから閉じておきなさい。』と言いました。
肺がんのおばちゃんに、右目が開かないらしいと母が説明していました。
右目を開くことを諦めて横になりました。
そのあと土曜で仕事が休みの旦那さんが来てくれました。
届いたばかりのマッキーのファンクラブの会報、そしてラッキーにそっくりな魔女の宅急便のジジのぬいぐるみも卵管手術の時と同じように持ってきてくれました。


ジジのぬいぐるみの写真を旦那さんに撮ってもらった後、今度は私の顔の写真を撮ってもらいました。
デジカメの画面に映し出された自分の右目。
鏡よりもさらに客観的に見ることができるので、辛かったです。
それからしばらく、何かに追われるように、毎日自分の顔の写真を撮り続けました。
●18:00
夕食は、おかゆ、肉じゃが、みそ汁、サラダなどでした。
そのあと、看護師さんが身体を拭いてくれて、手術衣からパジャマに着替えました。
夜の体温は、37.3度。
手術後から退院するまでずっと氷枕をしていました。
冷たいので痛みが紛れることと、普通の枕よりもやわらかく、違和感の強い首にとってちょうどいい高さに調節できて、熱が下がってからも手放せませんでした。
就寝時間になっても、首の締め付け感や手術あとの痛み、のど付近の痛みや違和感、右目が開かない不安、咳きこんだりで眠れませんでした。
横になると右腕から右足にかけてビリビリとしびれて気持ちが悪いので、朝までベッドのふちに腰掛けていました。
もしこのまま右目が開かなかったらどうしよう。
心臓手術の時ほどではないけど、思っていたより痛いしきついし、こんなに苦しい思いをするなんて、甘く見ていた。
こんな目になってまで手術を受けたのは間違いだった。
いろんな思いが駆け巡り、自分を責めました。
(この時点での気持ちです。TRAb抗体が高いと薬で良くなっても再発しやすいというのを読んで、今は手術を受けて良かったと思っています。)