思いっきりネタバレな内容で書きすすめています。
まだ知りたくないという方は、ご注意ください。
Makihara Noriyuki Concert Tour 2011-12
"Heart to Heart"
11/1 宮崎市民文化ホール
★★★★★
前回のライブレポからだいぶ経ってしまいました。
『White Lie』のあとに始まったのは⑪『Appreciation』
この曲も、震災を受けて作られたものです。
ライブの様子の前に、この曲のことを少し書いてみたいと思います。
正直言って、アルバムの中の一曲としてこの曲を聴いた時は、歌詞に衝撃を受けました。
ネット上でも、色々な意見があるのを読みました。
マッキーはMCで言っていました。
『原発を擁護した歌とかでは全然ないです』って。
私はマッキーファンだから、マッキーがこの曲について説明している言葉も知っている。
でも、この曲だけが一人歩きしたら、いろんな受け止め方をする人がいるのも当然だと思います。
自分は阪神大震災も、今回の震災も経験していないってマッキーは言っていました。
経験していない私たちに何が出来るのかを問いかけた曲だと私は思います。
マッキーがアルバム発売時にこの曲について説明したもの
『Appreciationとは「感謝」という意味があるのですが、「真の価値を知ること」という意味もあるんです。自分たちが当たり前だと思って使っていたものに真の価値を感じた時、こんなに僕たちの生活を助けてくれていたんだということに気づいて、「今まで無視して悪かった」と思うことがAppreciationなんだと思ってます。
普段自分たちの感謝できていない心が、失ったものの大きさで現れているとしたら「感謝する」という行動には凄い力があると思うんです。「当たり前に思わないこと」ということが、どれだけ大事なのかを歌いたかったので書きました。』
槇原敬之『Appreciation』
仕事場へ僕を毎日
運んでくれる電車を
動かしていたものを
どうして僕は悪く言える?
夕飯の食卓を囲む
大好きな人の顔を
明るくてらしてくれたものを
どうして悪く言えるんだろう?
こんな豊かな毎日を
今までくれてありがとうと
一番先に言うべきなのに
まるで逆のことを言ってしまうんだ
失ったものは全て
当たり前に思って
それがあることの喜びを
感じずにいたもの
このまま感謝できない
僕等のままでいたなら
もっと多くを失う時が
来るのは確かだろう
人は自然を自分達の
都合で形を変えて
利用しているだけなのに
共存していると何故言える?
いろんなものの命をもらう
事でしか 生きてはいけない
そんな弱い生き物だなんて
見えないくらい我が物顔だ
壊れた原子炉よりも
手に負えないのはきっと
当たり前という気持ちに
汚染された僕等の心
ほら「有り難う」も言えない
失ったものは全て
当たり前に思って
それがあることの喜びを
感じずにいたもの
このまま感謝できない
僕らのままでいたなら
もっと多くを失う時が
来るのは確かだろう
こんな僕らに毎日を
今までくれてありがとうと
言える心だけにしか
取り戻せないものがあるのだろう
失ったものは全て
当たり前に思って
それがあることの喜びを
感じずにいたもの
このまま感謝できない
僕らのままでいたなら
もっと多くを失う時が
来るだろう
それを望んでいないのはきっと
僕だけじゃないはずだ
君だって同じはずだ
★★★★★
この曲の時、スクリーンには二つのハートちゃんのフラッグがいっぱい行進してくるような疾走感のある映像でした。
マッキーも見たいけど、スクリーンにも目が行く感じ。
そして、間奏のところを長めにとって、スクリーンは黒に切り替わり、文字が映し出されました。
うろ覚えなんだけど、『君があげたプレゼントを喜ばず大切にしなかったとしたら君はどう思う?』『Appreciation=真の価値を認めること』『もうすでに20世紀は終わっているのだから』みたいな感じでたくさん出てきました。
マッキーは私たちに背を向けて、音に合わせてスクリーンの文字をまるで指揮しているようでした。
うまく説明できないんだけど、力強くてすごかった。
今回のコンサートでは、スクリーンに映像を出さない曲が多かった。
メッセージ性の強いこういう曲で効果的に使えるように、あえてそうしたのかもしれないなぁと思いました。
これまでもマッキーは、『あたりまえ』ではなく『ありがとう』という気持ちを大切に歌ってきた。
明日があるとは限らない。
だからこそ今を後悔しないように生きるってこともマッキーに教えてもらった。
震災で、すごくそのことを感じた。
自分を取り囲む全てのものに感謝して精一杯生きていくことが、私にできることだと、シンプルに思いました。
ちょっとまとまりのない内容ですみません。
読んでくださった方、ありがとうございます。
まだ知りたくないという方は、ご注意ください。
Makihara Noriyuki Concert Tour 2011-12
"Heart to Heart"
11/1 宮崎市民文化ホール
★★★★★
前回のライブレポからだいぶ経ってしまいました。
『White Lie』のあとに始まったのは⑪『Appreciation』
この曲も、震災を受けて作られたものです。
ライブの様子の前に、この曲のことを少し書いてみたいと思います。
正直言って、アルバムの中の一曲としてこの曲を聴いた時は、歌詞に衝撃を受けました。
ネット上でも、色々な意見があるのを読みました。
マッキーはMCで言っていました。
『原発を擁護した歌とかでは全然ないです』って。
私はマッキーファンだから、マッキーがこの曲について説明している言葉も知っている。
でも、この曲だけが一人歩きしたら、いろんな受け止め方をする人がいるのも当然だと思います。
自分は阪神大震災も、今回の震災も経験していないってマッキーは言っていました。
経験していない私たちに何が出来るのかを問いかけた曲だと私は思います。
マッキーがアルバム発売時にこの曲について説明したもの
『Appreciationとは「感謝」という意味があるのですが、「真の価値を知ること」という意味もあるんです。自分たちが当たり前だと思って使っていたものに真の価値を感じた時、こんなに僕たちの生活を助けてくれていたんだということに気づいて、「今まで無視して悪かった」と思うことがAppreciationなんだと思ってます。
普段自分たちの感謝できていない心が、失ったものの大きさで現れているとしたら「感謝する」という行動には凄い力があると思うんです。「当たり前に思わないこと」ということが、どれだけ大事なのかを歌いたかったので書きました。』
槇原敬之『Appreciation』
仕事場へ僕を毎日
運んでくれる電車を
動かしていたものを
どうして僕は悪く言える?
夕飯の食卓を囲む
大好きな人の顔を
明るくてらしてくれたものを
どうして悪く言えるんだろう?
こんな豊かな毎日を
今までくれてありがとうと
一番先に言うべきなのに
まるで逆のことを言ってしまうんだ
失ったものは全て
当たり前に思って
それがあることの喜びを
感じずにいたもの
このまま感謝できない
僕等のままでいたなら
もっと多くを失う時が
来るのは確かだろう
人は自然を自分達の
都合で形を変えて
利用しているだけなのに
共存していると何故言える?
いろんなものの命をもらう
事でしか 生きてはいけない
そんな弱い生き物だなんて
見えないくらい我が物顔だ
壊れた原子炉よりも
手に負えないのはきっと
当たり前という気持ちに
汚染された僕等の心
ほら「有り難う」も言えない
失ったものは全て
当たり前に思って
それがあることの喜びを
感じずにいたもの
このまま感謝できない
僕らのままでいたなら
もっと多くを失う時が
来るのは確かだろう
こんな僕らに毎日を
今までくれてありがとうと
言える心だけにしか
取り戻せないものがあるのだろう
失ったものは全て
当たり前に思って
それがあることの喜びを
感じずにいたもの
このまま感謝できない
僕らのままでいたなら
もっと多くを失う時が
来るだろう
それを望んでいないのはきっと
僕だけじゃないはずだ
君だって同じはずだ
★★★★★
この曲の時、スクリーンには二つのハートちゃんのフラッグがいっぱい行進してくるような疾走感のある映像でした。
マッキーも見たいけど、スクリーンにも目が行く感じ。
そして、間奏のところを長めにとって、スクリーンは黒に切り替わり、文字が映し出されました。
うろ覚えなんだけど、『君があげたプレゼントを喜ばず大切にしなかったとしたら君はどう思う?』『Appreciation=真の価値を認めること』『もうすでに20世紀は終わっているのだから』みたいな感じでたくさん出てきました。
マッキーは私たちに背を向けて、音に合わせてスクリーンの文字をまるで指揮しているようでした。
うまく説明できないんだけど、力強くてすごかった。
今回のコンサートでは、スクリーンに映像を出さない曲が多かった。
メッセージ性の強いこういう曲で効果的に使えるように、あえてそうしたのかもしれないなぁと思いました。
これまでもマッキーは、『あたりまえ』ではなく『ありがとう』という気持ちを大切に歌ってきた。
明日があるとは限らない。
だからこそ今を後悔しないように生きるってこともマッキーに教えてもらった。
震災で、すごくそのことを感じた。
自分を取り囲む全てのものに感謝して精一杯生きていくことが、私にできることだと、シンプルに思いました。
ちょっとまとまりのない内容ですみません。
読んでくださった方、ありがとうございます。