明日は【父の日】ですね。


父の日!父の日!とデパート商戦的…はたまたマスメディアに躍らされてかここ数年社会的ポジションを得て来ましたが、まだまだ【母の日】ほどのインパクトに欠けるのは、世のお父さん方にとってはちょいと寂しい感じがしますが(^_^;)(苦笑)


【父の日】が近づくと、9年前に亡くなった父さんに黄色いバラの花束を毎年あげていたのを思い出します。


何度かblogに書いていますが、ウチは父さんと母さんが28年間別居していました。



私のアルバムには3~4歳の頃父さんと東京都の水がめの一つ・小河内(おごうち)ダムで写した写真や井の頭動物公園で写した写真があるのですが、何故かいつも【とある女】が一緒について来てました。飲み屋(⇒当時はキャバレー)に勤めていた女です。

その女が25年間、父さんと『同棲』していた愛人だったんですがね(^_^;)

私が子供の頃はまだ浮気相手で、きちんと帰宅してました…1週間に3日くらい(爆)


私が小学低学年の時にその女のアパートに届け物があるからと父さんと一緒に出かけた時に部屋の表札が何故かウチの父さんの名前になっていたんです。何故父さんの名前なんだ??と聞いたら『女一人暮らしは物騒だから男の名前にしておいたほうがイイから父さんの名前を貸してあげたんだよ』と。今、考えたらそこで気付かない私はまだまだ甘かったんですが、『言われてみたら確かに物騒だよな。』とイイほうにとらえました(笑)



そんなこんなで、小学5年生の時に、『仕事に行ってきまーす』と弟のチャリに乗って出て行ったまま4年間音信不通になった父さん。


実は前者の所には行かず、当時から前者ともう一人…父さんに好意を持っていた女(前者もこの女も同じキャバレーで働いていた)が『私と3歳の娘残して旦那が家出した(>_<)お父さん助けて!』と言われ、なんと3年間…その女と娘と暮らしていたんだとサ(-_-)

で、4年目にひょっこりバカ亭主が戻って来たから『お父さんもう大丈夫だから戻って下さい(^o^)ノ♪』w(゚o゚)w…で、ウチには帰れず、前者のアパートに。前者は前者でまさか父さんが【恋敵】のトコに3年間居たとは思わず、ウチらを捨てて自分の所に来てくれたんだと喜んだそうな(-_-)


その間、ウチでは大変なことになっていたんですがね(-_-)

父さんが行ってきま~す♪と家出した後に一番上の姉の所へ行き、『母さんが店を出すから50万貸してくれ』と借金。そんなこと母さん全然知らないから後々電話が入り母さんは『泥棒!!人から金ふんだくっといて知らんぷりか!金返せ!!』と一番上の姉にボロクソ言われるし、行方不明になって困っている(>_<)捜索願い出したいんだと二番目の姉に相談の電話をしたら『世間体があるからやめてくれ!』と切られ、千葉の父さんの兄貴(本家)に相談したら『あいつはあいつで好き勝手やっているんだから、あんたもあんたで好き勝手やればいい。娘と息子は本家で引き取るから』と言われ憤怒し、親戚には一切頼らず、友達に助けられ自ら一日20時間くらい働き4年間はまさに身を削りながらウチらを育てていました。

当時、愚痴や不満やストレスをぶつける所が無かった母さんは…母さんはそれほどとは思っていなかったと後々も言っていましたが、何かにつけては私に理不尽な怒りをぶつけてましたなぁ(u_u)(汗)

小学5年~中学2年…多感な時期です。普通ならば『反抗期』ですか。ウチはありませんでした。っていうか、反抗したら生きていけませんでしたから(笑)

何か気に食わないと『アンタのそういう所がお父さんに似ていて嫌だ(怒)』とか『あーー!!!髪の質から顔から似ていてムカつく(怒)!!!』左手で絵を描いていたらそれだけで『お父さん思い出すからやめてくれる?!ムカつく!(怒)』


家の為に一所懸命節約して母さんから貰った小銭を持って毎日野菜やら肉やらおかずを考えてやりくりしてご飯を作り、学校では父さんが家出したことで弟がいじめられないように精一杯頑張って(⇒いじめっ子をいじめる(爆))いても、母さんから返ってくる言葉は…

『アンタは父さんに似ているからムカつく(怒)』

でした。


一度母さんが…


『アンタ達、もしお父さんとお母さんが離婚したらどっちの姓を名乗る?』

と聞いてきたことがあり、今も変わりませんが(笑)嘘がなかなか言えない私は正直に『十何年間この苗字(父さんの)で来たから私はこのままで生きたい』と。弟は間髪入れず『僕はK川(母さんの)!』


その時に突き放すような目で吐き捨てるように母さんから言われた言葉…



『はああ~ぁっ!!!やっっぱりアンタは【お父さんの子】よねっ!!(怒)そーくると思ったわよ!!(弟に向かって)やっっぱりおまえは母さんの子だよね~(^o^)♪』


その後も多々エピソード有りますが、書き切れません(苦笑)



20歳過ぎて、父さんが心筋梗塞で倒れた辺りからだいぶ父さんと会うようになりましたが、その頃の女の態度は私に対して対抗心が凄くて『私のほうがお父さんのことをわかっているんだ』とか『アイコさんより私のほうが肌がツルツルしている』とか(-_-;)

この頃には3年間一緒に住んだ女も出て来て…こいつもまた『私はアイコさんよりお父さんのことをよく知っているのよ~』とか『私の初めての相手がお父さんだったの』とか『K子さんに招待されたから花とケーキ持って遊びに行ったら、お父さんがランニングシャツにステテコ着て新聞読んでて…K子さん、シミーズ姿に頭にロールたくさん巻いたまま出て来て(ToT)【お父さんは私のモノだって】。私号泣しながら部屋を出たらお父さんが追いかけて来てくれて…』

とか…(-_-;)おまえら、バカか(苦笑)というような話を25歳過ぎた辺りに色々聞きまして、ほとほと情けなくなりました。

こんなののどこが楽しいのかと。ある意味日々『充実』していたのかも知れませんが、こいつらが愛憎だなんだかんだやっていた反対側でウチらは【一杯のかけそば】以上に色々あったんだぜと。


あたしゃ~アンタらがウダウダ&ギャーギャーやっている間に、弟に寂しい思いさせたらいかん(u_u)母さんに恥かかせたらいかん!と真面目に日々暮らしながらも何度理不尽に怒る母さんから『戸籍から外す』と言われたか(苦笑)



親戚一同にも27~28歳くらいの時かなぁ…


ブチ切れました。ようやく積年の鬱憤ぶちまけました。父さんにも母さんにもね。




晩年の父さんにとって、私はなかなか手のかかる(金のかかる)娘だったと思います。いつもたかっていたから(苦笑)


でも、他の父娘…いや父子の冷ややかな関係に比べたらびっくりされるほどに旅行やら食事やらカラオケやらドライブやら仕事の手伝いやら1週間のうち3~4日はしてましたねェ。はたから見たら毎回が【父の日】です(笑)


ある時、晩ごはん一緒に食べようか?となりまして、隣町にあった父さんの仕事現場に行った時に下請けのおっちゃんに『愛人』と間違われました(笑)当時の私はガリガリで金髪でアロハにPERSON'Sの真っ赤な釣りズボンみたいなパンツはいて(笑)ジャニーズ系と言われていた頃です(笑)


『Tさん(汗)やめなよ~やめときなよ~(>_<)良くないよ~若すぎるだろぅ(汗)』


『何が?』


『あんな子はTさんに似合わないからサ~(>_<)金むしり取られてサヨウナラだよぅ(>_<)(汗)』


『あ…(笑)そうだなぁ~かなりむしり取られているなぁ(^_^;)』


『だろ?!だろ?!良くないってー(>_<)早く別れなよー!』


『それがなかなか別れられないんだよなぁ(^_^;)』


『ダメだって!!若いからって(>_<)何なら俺が言ってやろうか??』


『そうかぃ(^_^;)(笑)』


と、そこに近くのコンビニで差し入れのジュースとアイスを買ってきた私が来て一言…



『初めまして(u_u)いつも父がお世話になっております。娘のアイコです(^o^)!』



下請けのおっちゃん

w(゚o゚)wエッ…エーー☆!!!


父さん大笑い(爆)





何だかんだ、辛い思いをさせられた父さんでしたが…


何よりも私が好きになった神社仏閣巡りや色々な事に対する知識、自らをもって教えてくれた『色恋沙汰』の知識(苦笑)、疑問・質問に対して『わからない・知らない』と言ったことが無いほどの博学。


金銭的な財産は一切有りませんでしたが(笑)、私の中にはそういうものが財産として残されています。



明日は【父の日】。


これだけ『悪口』書いたら、今晩夢に出て来てくれますか?父さん(笑)