これを初めて掘り出した時のワタクシの感動!わかりますか(笑)
でも、先生方や調査員さん達いわく『江戸の遺構からは貧乏徳利の次にだけど、吐いて捨てるほど出てくるよ(笑)』と。
【泉州麻生】の塩壷です!今の貝塚ですな。
丹羽源兵衛という人が津田村に来て塩屋の名跡を継いで正庵と名乗って当時の岸和田城主の岡部宣勝と交流を持ち家屋敷を与えられたとか。
フタには
【イツミ(和泉)】【ツタ(津田)】
と刻んでありますよ!
貝塚の塩は江戸時代、超有名な『ブランド品』でした。
ですので、当時江戸の人々は【泉州麻生】というブランド品に似た名前が出てきても構わず『購入』していたようです。パチもんですな(笑)
例えば…
本家【泉州麻生】
・泉州磨生
・泉州麻玉
とか。
書き始めると長くなるのでこのあたりで(^_^;)

