2024年劇場鑑賞9本目

「オッペンハイマー」


ようやく日本公開の本作。
意外と広島、長崎での観客数が多いとか。



3時間の長尺ですが、さすがはクリストファー・ノーラン監督、

迫力の映像と時系列入れ替え、複雑かつ多層的な構造で完成度が高い作品でした。

宇宙や量子力学の世界を想像実感させる場面などは、壮大なスケールで臨場感があり素晴らしかったです。

至るところで意外な俳優が出てきて、なかなか豪華な顔触れ。

中でもデイン・デハーンの登場と、久しぶりに見たジョシュ・ハートネットがオジサマ化していたのが私のツボ。


デイン・デハーン⬇️

その輝かしい才能をもっと沢山披露して欲しいです。


ジョシュ・ハートネット⬇️

ご本人かどうか判断しかねて、エンドロールで確認してしまいました。


あと、以前チャーチル首相を演じたゲイリー・オールドマンが、今度はトルーマン大統領役で出演していたのもオツな味でした。


配役は、やはり主演キリアン・マーフィーが、最大のポイントだと思います。
作品全体の品位が上がる感じ。




登場人物が多くエピソードも多彩で、1度観ただけでは全体を把握しきれない感覚が残るものの見応えはあります。

繰り返し観ると、人物の相関図、モノクロとカラー映像の使い分け効果などが理解できて面白いのだろうなと思いますが、

2度目、3度目に挑む気力が湧きません。



楽しい内容ではないですし、ボリュームが凄いので。



原爆はメインテーマでなく、オッペンハイマーの人物像に焦点を定めた感じ。


「原爆の父」の戦中と戦後で評価が反転した経緯や状況、その皮肉と茶番の滑稽さを炙り出すという側面もあるかと思います。



ナチス台頭の中ユダヤ人として世界大戦を経た後、冷戦、赤狩りと時代に翻弄された天才物理学者を様々な角度から分析するように描いています。


原爆投下後、逃れ難い罪の意識に苛まれる様子や水爆に反対する場面などもあり、心情を想像すると暗澹たる思いに。


「天才であるが故の苦悶」や「人間の手に負えない領域に足を踏み入れてしまったことへの恐怖と後悔」なども感じられます。


邦画「Winny」(2022年)を何となく思い出しました。



革新的なソフトを開発したことが結果として、著作権法違反幇助で社会を撹乱させたとして逮捕されますが、


ご本人は「そこに山があったから登っただけ」と、天才の性というのか天然な感じ。


オッペンハイマーも、ナチスより先に完成させなければという危機感や使命感などがあったにせよ「原爆を(一番乗りで)完成させてみたい」という純粋な欲望は、動機として大きく占めていたのではと考えてしまいます。





他、「海の上のピアニスト」(1998年)、


船の上、ピアノの鍵盤内、という制限があるからこそ自分は無限の自由を謳歌できると悟った主人公を連想しました。


このピアニストと違って、

学者としての好奇心や功名心に抗うことができなかったオッペンハイマーはパンドラの匣を開き、

引き返すことのできない淵で終わりなき絶望を見たのでは、などと想像してしまいます。







日本の原爆被害に関しての描写がないという意見がありますがこの内容なら、なくて良かったと思います。




実験成功時に歓喜する人々の場面は、不快ですが恐らく実際あの通りのムードだったでしょうし、 

放射能に関して無知で無関心な当時のアメリカが、オッペンハイマーその人の置かれた世界であったので、その表現のみで十分だと感じました。


真意はどうかわかりませんが、今回日本の惨状を取り込まなかったのは、監督の慎み深さではないかと私は思っています。


原爆の恐ろしさを伝えるのであれば、本作と「はだしのゲン」をセット上映すれば良いと思います。

(バーベンハイマーで悪ノリした人には是非観ていただきたいですね)




印象的なセリフが2つ。
(私の記憶なので、たぶん正確ではないです💦)

①不倫相手が自殺した時、メソメソするオッペンハイマーに、妻が言った、
「罪を犯しておいて、その結果に同情しろと?」
というセリフ。

②ロスアラモス国立研究所で、「ここは、カルト・オブ・オッピー(オッペンハイマー教)」と誰かが言ったこと。

学生時代からアダ名は、オッピーだったそうです。


オマケ
大阪ステーションシティシネマのテラス花壇。



嬉しそうに生き生きと咲いて可愛いですねえ🌸





テアトル梅田(旧シネリーブル梅田)スカイビル広場の鯉のぼり🎏



岡本太郎さんが、「大空を魚が泳ぐ、ダイナミックで素晴らしいじゃないか!他の国にこんなものはない」みたいなことを本に書いていて、


それを読んで以来、鯉のぼりを見るとハイテンションになります♪