モンテッソーリ教育に支配されすぎる人たち
〜子どものための教育が、家族を壊してしまう前に〜
最近、「モンテッソーリ教育」が本当に流行っているなと感じます。インスタを見れば木のおもちゃや整った棚、「自由に学ぶ子どもたち」の姿。YouTubeでは、教材を手作りして環境を整える動画がバズっていたり。すごいなあ、と素直に思う反面、少しだけ違和感を覚えることもあります。
モンテッソーリ教育って、“子どもが自由に、自分の力で育つことを助ける”という素敵な理念があるんですが、それがいつの間にか「親を不自由にしてしまっている」ように感じることがあるのです。
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モンテッソーリって、そこまで完璧にやらなきゃいけないの?
私のまわりにもいます。モンテッソーリを実践しているママたち。もちろん、みんな子どもを大切に思っているし、勉強熱心。だけど、ちょっと極端なルールに縛られて苦しそうに見えることも…。
• プラスチックのおもちゃは禁止
• 甘いお菓子もキャラクターもダメ
• 子どもが「やる」と言うまで何も手を出さない
• 競争や比較はNG、静かな環境じゃなきゃダメ
それって本当に「子どものため」なんだろうか?と、時々考えてしまいます。
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パパの居場所がなくなった──ある夫婦の話
実際に、教育方針が原因で家庭が壊れてしまった知人もいます。
彼の奥さんはモンテッソーリにとても熱心で、生活すべてが教育の延長線にありました。
「子どもと公園でサッカーしたら“競争をあおるからダメ”って言われた」
「おやつにクッキーをあげたら“そんなものは毒”って怒られた」
「子どもが泣いていても“自分で気持ちを整理するまで見守って”と介入させてもらえなかった」
彼は、だんだんと自分が家庭に“いてはいけない存在”のように感じるようになり、最終的に別居、そして離婚に至りました。
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SNSが「理想の育児像」をつくりすぎている
インスタやYouTubeで見る“モンテッソーリ家庭”って、本当にきれいで整っていて、憧れる気持ちもあります。でも、同時に「うちはここまでできてない…」と落ち込んでしまうママも少なくありません。
本来は「自由な育児」のはずなのに、「こうしなきゃ」という思いに追われて苦しくなってしまう。育児が“義務”になった瞬間、それは教育ではなく“信仰”に近づいてしまう気がします。
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モンテッソーリは「使いこなすもの」、支配されるものじゃない
モンテッソーリ教育そのものは素晴らしい考え方だと思います。
でも、それが家庭のすべてを支配してしまうほどになると、子どもにとっても親にとっても、良いものではなくなってしまう。
「教育法」は道具であって、目的ではない。
子どもとどう関わりたいか、どんな家庭でありたいかは、もっと自由に考えていいんです。
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最後に:大切なのは「親が元気で、笑っていること」
子どもにとって必要なのは、特別な教育よりも、「安心して甘えられる人がそばにいること」。
多少テレビを見せても、お菓子を食べても、木製じゃないおもちゃで遊んでも、大丈夫。パパとキャッチボールしてもいいし、時には親が先回りして手伝ったっていい。
育児は、教育ではなく、「一緒に生きていくこと」だと思います。
完璧な教育法よりも、「ちょっと不器用でも、楽しんでいる親」でいたいなと、私は思っています。