人を育てるのは難しい


特に子供だと未熟さと繊細さで

大人の手ひとつで如何様にでも歪んで

大切な部分が染まってしまう


血の繋がった実の親ですら、子供と向き合う

とき試行錯誤している

簡単じゃない



それが親ではない他人という大人の

圧力の中で、子供を自分の思う通りに

動かそうとすると

その子の機会損失がどれだけあるか

計り知れない


子供を自分の人生の作品の

一部にすることを疑問に思う


自分のしたいことを叶えるのに

誰かの手を借りることは素晴らしい協力


けれど


それを自分の欲望というしたいことの作品

の中に子供を長い期間閉じ込め続けるのは

違うと思う


今、自分の思った通りに指導できて

成長していて嬉しい!…と、自分の手元に

置き続けて自分の目の届く範囲でしか

行動させないようにしていると、

子供の思考は

「自分の行動を縛る大人の言うことを理解する

為だけに動くようになる」

自立、遅れるよね


大人の圧力は相当なものだからね





自分がそんなことを子供にできるだけ
大成させられる世界レベルの器なのかな



自分すら辿り着いていない場所で、実力も

追いついていない経験不足の状態で

未経験の大舞台へ導ける根拠は??


目先の自分の欲望を満たす為に他人を縛るの?


自分を成長させられるのは、自分しか

いない


他人が出来ることはそのほんの何万分の1

ぐらいにも満たないキッカケしか作れない


私自身、息子の成長を見て

戒めの為に大切にしている言葉がある


「私が成長させてやった!輝くようにしてやった!…なんて傲るな。何様だ」


その子が、その人が本来もっともっと

大きな経験や挑戦ができたかもしれないのに


自分の人生の欲望という作品に長い

時間居させた事で、挑戦の機会をその子は

失っている


目先にある自分の欲望を

他人に押し付けて、責任は取れるのかな



社会的自立ができない立場の弱い

未熟な子供は従うしかない




ビードロの中で泳ぐ
美しい金魚は
どんなに愛でても
儚いの