学びって、自分の人生を広げてくれます。

でもたまに、逆のことが起きることもあります。

 

学びと称して、
自分を消しちゃう。

 

誰かの話を聞いた時、

理屈が通っていたりすると、

そっちが正しいのかもと思う。


特に、実績がある人が言っていることって、

なんか信じちゃう。

 

そうすると、自分の感覚よりも
「その人が言っている正しさ」を優先し始めて、

 

なんか違和感があっても、
私の理解が足りないのかも、と思ったり、

 

モヤっとしても、
まだ私が未熟だからかも、と解釈したり。

 

HSS型HSPは特に、
人の言葉の奥まで読めるから、
「学び」を深く受け取ろうとします。

 

でも、境目が曖昧になると危うい。

 

学びは、本来
自分の感覚を使って咀嚼するもの。

 

でも、

・言われた通りにすること
・その人の考え方をそのまま採用すること
・自分の違和感を抑えて合わせること

が増えていくと、

 

それは学びというより、同化。

 

その人の視点で物事を見る。
その人の価値観で自分を測る。
その人の基準で、自分を修正する。

 

もし学んだあとに、

・自分の違和感が消えている
・判断を他人に預けている
・その人の言葉がないと動けない

こうなっていたら、
それは学びというより依存に近い。

 

これを続けていくと、気づけば、

私はどう思ってるの?
私は何が好きだった?

って、本当にわからなくなる。

 

 

だから学びは、合わない部分は残ってもよくて、

というか、全部がしっくりくる学びは、

ちょっと危ない。

 

だって、全く意見が同じ人間って、

多分世の中にいないんです。

 

あなたの思考は、あなたのオリジナル。

 

だから学びは「一致」よりも「対話」が大事で、

自分とその考えの間で、ちゃんと揺れる。

 

 

学びが悪いわけじゃないし、

依存がダメなものでもないけれど、


学びと自分の境目がなくなると、
自分が薄くなっていきます。

 

この辺は好みなのかもしれません。

 

依存タイプが好きか、

自分を表現していくのが好きか。

 

生きている中で、

どっちもあってもいい。

 

本当に身になる学びは、
違和感を消しません。

 

「ここは合う」
「ここは違う」
 

両方あっていいし、

全部取り入れなくてもいい。

 

むしろ、取り入れない部分があるから、
自分の輪郭が残る。

 

何度も言いますが、学びは
自分を消すためのものではなくて、

自分を広げるためのもの。


自分と相手の境目を持ったまま学んだものは、
本当に強いです。

 

自分の後ろに、たくさんの

協力者、応援者がいるような感覚です。

 

でも、その中に埋もれない。

あなたの人生の先頭は、あなただから。