母はまだ還暦前だった
母は
自分の寿命が短いのを
知っていたかのように
奔放な人生を
歩んでたような
気がしてきた。
それに振り回されてきた
私達兄妹…
私が一番申し訳なく
感じたのは
妹にだ。
東京から
急いで帰ってきた妹は
あまり泣いてはいなかった
きっと
向かっくる
新幹線の中で
たくさん泣いて
きたのだろう。
しかしこの
葬式の準備に
追われている最中
帰宅してきた兄に
振り回されるとは
思ってもいなかった
兄は帰宅してくる前に
彼女を連れて行っても
いいかと聞いてきた。
私「九州からも
おばさんたち来てるし
とても相手してる
余裕ないから
連れて来ないで欲しい❗」
兄「わかった!」
ホッとして
バタバタと
準備をしていた
その日の夕方
ピンポーン
ドアフォンが鳴ったので
出てみると
そこには
兄と
韓国人の彼女が
立っていた
オーマイガー
二人は
私の作ったご飯食べて
お腹いっぱいなったら
トコトコ観光に
出掛けていった
しかも私の車を借りて
明日火葬だから
早めに
車戻してね❗❗
強く念を
押したはずなのに
出棺の時間なっても
帰ってこず
旦那の両親もいたし
都合悪くて
仕方なかった
結局
火葬には
間に合ったが
ほんといい加減に
して欲しかった❗❗
そう言えば
父の事を書いてなかった
ですね
父には妹が
連絡を取り
来てはくれたのですが
ただボーっと
しているだけで
何を考えているのか
わからない
私もあまりの
忙しさに
父と会話した
記憶がない
志望届けを
出す前に
出きる限り
通帳からお金をおろし
当面の雑費や
おもてなしの食費に
充てた。
保険にも
入ってくれていて
私名義だったので
スムーズに
お葬式代も支払えた👛
ただ一番難儀したのは
簡保の解約だ
窓口の人が変わる度に
必要書類が変わり
何度市役所に
足を運んだことか
しかも
保険の扱いが
不馴れなスタッフばかりで
保険の解約が
完了するまでに
3週間
かかってしまった
その点銀行は早い❗
私はそれから
郵便局全ての物を
解約した。
自分に何かあったとき
家族にこんな
大変な思いを
させられないと
思ったからだ
なんだかんだと
色んな事をやりながら
無事にお葬式も終えた。
そして
何かの糸が切れたかのように
私は倒れ
救急車🚑で
病院へ運ばれたのでした…
続く…