親をなくすことは
自分の「過去」がなくなるということ。
自分の夫をなくすことは
自分の「今」がなくなるといくこと。
この言葉は
ネットや本屋さんかどこかで、読んだものです。
なるほど、と思う反面
私は絶対なくさない。絶対になくならせない。と意地を張りたくなった。
父がつけてくれた名前
名前を呼ぶ声
おちゃらけて話す笑顔
色んなオニギリを作ってくれたこと
家族を全力で守ってくれよう
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とする姿
筆の持ち方、筆使い、呼吸、
書いている時の目、作品を見る目
私の背中に指を筆がわりに作品を書くこと
お父さんの頭はいつも卓義先生色
家族思いで信仰心が深く、自分のお母さん(おふくろ)のこととても大切に思っていたし、自分のお父さんの写真をお財布に入れてお守りにしていた。
父は、生徒が大好きだった。いつも人のことを最優先に考えていた。人を大切にしていた。
お父さんの最後のお別れの日には、
たくさんの生徒が来てくれた。
入院中、何十回もベッドから降りようとして、お父さんどこいくの?て聴いたら、「家帰る」か「学校」だったもんな。
入院中にお世話してくださった看護師さんのことも生徒や同僚の先生だと思って名前で呼んでた。
学校愛、生徒愛のある素敵なとびっきりな教師だったよ、父。
展覧会場で私の線がいい線でてると言い、たくさん自信をくれたこと。
私が賞をとったとき、自分のことよりも、とても嬉しそうにしていた。父が嬉しそうなの知ってたのに、もっとありがとうと感謝を言えばよかったのに。やっぱり後悔は多々ある。でもしまっておかなくちゃ。
私がある程度大きくなってからは、励ましてくれてばかりだった。
大きくなったなー。立派になったなー。
楽しい家庭を築いているなー。って最後の方でも言ってたな。
お父さん安心したかったのかな。
気がかりなはずだよね、母、娘2人残して。
なのに、お父さんはちっとも泣かなかった。私たちがこんなに我慢できずにか泣けてしまっても、私たちが泣いていることに気づいていても、父は気づかないふりして普通に話してた。父の優しさが溢れてる。
藍、講義やるぞって一週間前に筆ペン講座してくれたね。職場で一番どういうときに使う?て言うから、寸志とか、お祝いとかだね〜って言ったら全部書いてくれた。私が困らないように。上手に書けるように。
書道会では旧姓で。。職場では今の姓で。。
少し朦朧として書いていたから、藍っていう字を竹冠で書いちゃったんだよね、それに気づいて父、すっごい悔しくがって、俺が自分でつけた名前なのにー!って怒ってたね。
嬉しかったよ。名前、これからも大事にしようと思った。父の思いがこもった名前だもんね。
病室では誰の心配する電話にも、全然大丈夫ですよって答えてた。もう、意識も朦朧としていたのに。
せん妄といって、自分がどこにいるのか周りの人が誰なのか、無い物が見えたり理性がなくなったりとか、そんな状況下だったけれど、私たち家族のことはしっかり分かってた。私が、父!藍ちゃんだよ!分かる?って聞いたら、そんなの分かるよ!って呆れていた。当たり前に分かること聞かれて呆れてる感じ。嬉しかった。理性がなくても、いつもの優しい人を気遣う父のままだった。誰がお見舞いにきても、一生懸命だった。
家族だけの空間の時は、お父ちゃんどこか痛い?て聞くと、痛いというより苦しいと言っていた。
痛みは鎮痛剤があるけれど、なんとも言えない苦しさというものは、緩和するのは難しいと文献で読んだことがあった。どうにもしてあげられないもどかしさと、このまま父がいなくなってしまうことを待つ時間。あの時間、あの気持ちはとてつもなく辛いものだった。元気になるための入院ではないから。
入院して四日目の夜、父は明らかに元気が無くなり、辛そうに息をしていた。
私は寝ている父の手を握って、お父ちゃんこと、こんなに大好きでどうしよう とつぶやいてみた。
父は、藍ちゃん、とだけ言ってまた眠ってしまった。
今まで、ありがとうは結婚式でも伝えたけれど、素直にお父さん大好きって言えてなかった。大好きって伝えたかった。
まだまだ一緒にいたかったよ。。。
藍ちゃん
と読んでくれたのが最後の会話だった。
私は今回、父がいなくなってから始めて作品を出す。いつもなら、父に構図とか筆どれにしようかなーとか、印の位置はここかなとか、たくさん相談してたから、分かってはいたけれど、一つ一つが辛くて泣きながら進めた。
こっちの作品の方がいいよね?
。。。
筆小さいかな?
。。。
どっちがいいと思う?
。。。
やっぱりこっちだよね。
父の好きな線だもんね。
。。。
父、これに決めたよ!
返事がないのが悲しくて、
泣いてばかりや。。
この波はこれからもたくさん打ち寄せてくるんでしょう。
打たれる体力つけておかなきゃ。
前に進めないな。