今年も揖斐祭り子供歌舞伎の季節がやってまいりました。今日は雨でしたが、たくさんの観客の方が見に来られていました。
今年の演目は「恋女房染分手綱」~重の井 子別れの場~でした。
今年の稚児役者の中には、私の昨年の学童の生徒さん二人も出ていました☆
馬方三吉という、なかなか重要な役どころをやっていました。
物語は、乳母重の井の、由留木家息女調姫の輿入れのお供から始まります。




今度十才になったばかりの可愛い調姫。今度の輿入れで、丹波の国から東国へ下ることになったが、姫はむずかって、東国へ下るのをいやがります。朱色の着物の艶やかなこと。鮮やかな着物が舞台に映えます。




そこへ、小さな子供の馬方三吉が、道中双六をしているのが面白そうだというので、調姫のお慰みに早速呼ばれてやってくる。三吉が、姫や重の井と一緒になって道中双六をしたり、東国の話を聞かせたりしているうちに、姫の機嫌は直って、早く東国へ行こうと言い出す。




そうしているうちに、重の井は、三吉に褒美を与えて、用があったら、乳母重の井を尋ねて来いと言う。
重の井という名前を聞いて、三吉はそんなら自分の母だと言い出す。
三吉は、重の井と由留木家御物頭伊達の与作の間に生まれた、不義の子なのであった。この不義のため、与作は国を追放され、重の井は由留木家の御息女調姫の乳母となり、親子は長い間別れていたのである。
重の井は迷いに迷うが、嫁入り前に馬方の子三吉が、乳兄弟であることが判ったら、姫君に疵がつき、輿入れもこわれるであろうと、義理にしばられて、親子の名乗りも出来ないのであった。
重の井は、有り合わせの金を包んで、親子と言わずに言っとくれと三吉に頼むが、三吉は、「馬方であっても、伊達の与作の総領の子じゃ。母様でもない人に、金を貰う訳がない。」と言った。
やがて姫の出立となった。駕籠のそばで唄えと言われた三吉は、泣きながら声を張り上げて唄うのだった。

このお話を見ていて思うのは、たとえ馬方であっても、母様にどんな事情があっても、母様に、親子と言ってほしかった、三吉の心情が胸に刺さります。いつの時代であっても、身分の差などのいろいろな時代背景があっても、子は母に親子と言ってほしいものです。それが今回の演目で、一番心に残りました。