やってしまい、じゃないけど、たまに子供に言ってしまい、あとで反省すること。
「それは無理だと思うよ。」という言葉。
私からすると無謀とも思えるものにも、やりたい!と思ったらとことんチャレンジする長女。
先日もついこの言葉を言ってしまった。
「無理って言わないで!本当に無理になるから!絶対言わないで!!」
そう言われて、反省した。
子供の可能性を潰すのは、親の態度や何気ない一言だったりする。
可能性しかない子どもが、いつしか挑戦することを怖がったり、諦めてしまったり。
そんな私も、「どうせ無理。」
そう思って思い切ってなにかに挑戦することもなく、生きていた子供の頃。
思い返せば、自分に自信なんてなかった。
スポーツも勉強もこれと言って得意なものはなかった。
頑張って取り組んでもそんなにいい結果は出ない。
普通が一番だよ。と言いつつ、親は少し残念そうな顔をする。
ああ、それなら、頑張らなくてもいいか。
頑張っても、残念な顔するんだもん。
喜ばせることができないんだもん。
自分のために、ではなくて、親に喜んで欲しくて頑張っていた幼少期の思い。
そんなのを少し思い出して、あーこんなのもまだ胸にしまってあったんだ。と気づく。
2歳の長女。この頃はいつでもどこでも裸足!
子どものそのままを受け入れ認めてあげよう。
結果じゃなくて、過程を褒めよう。
よく言われることだけど、できないときがある。
「これくらいできて当たり前でしょ。」
「もっとできるでしょ。」
「こんなこともできないの?」
そんなふうに声をかけたくなったら。
子供に過度に期待している?って気づいたら。
子供にあれこれ言う前に、自分と向き合う。
「やってもどうせできないんだから、やるだけ無駄なんだから、最初からやらなければいいのに。」
そう言っているのは、幼少期の私。
その言葉が出てきたら、幼少期の私と向き合って、寄り添う。
頑張りを認めてほしかったよね。
あなたが悪いんじゃないよ。頑張ってたよ。えらいよ。いっぱい頑張ったね。
そのままで充分素敵だよ。大好きだよ。
幼少期の私の、結果じゃなくて、過程を褒める。
そのままを受け入れる。
向き合っていくと、幼少期の悲しくてやるせないような気持ちも、少し晴れる。
そして、娘の挑戦にも、素直にすごいな。と思えてくる。
向き合うべきは、自分のありのままを認められない私。
子供は、可能性の塊。
子供にあれこれ言いたくなったら、一度立ち止まって考える。
自分のありのままを認めてあげられている?
大丈夫。あなたはそのままでいいんだよ。
子供も、そのままでいいんだよ。