茶臼山と村 | ぽち太の寝言は寝て言え

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その日、その時、思ったコト、したコトをありのままに書いてます 気楽にやりましょー(^-^)/

相変わらず、ぐずついた天気が続いてます
(-_-;)
退職に向け、そろそろ有給消化に入りたいぽち太としては、秋雨前線にもご退場願いたいものです

今年になってから、ちょくちょく行くようになった茶臼山ですが、以前は近寄るコトさえ考えなかった山です

茶臼山は、愛知県と長野県に跨がる標高1400mクラスの山
高さで言えば、有名どころの伊吹山を凌ぎますが、比較的市街地から近い伊吹山に比べ、街らしい街も殆ど無く、あまり観光地化もされていないので、県内最高峰という以外、影の薄い山でした

むしろ、以前紹介した、かつての「日本一のミニ村」富山村の方が、知名度としては高かったかも
(^^;?

現在富山村は、隣接していた豊根村に吸収合併され消滅しましたが、合併後も「豊根村」のまま

この平成の大合併によって、いくつかあった愛知県内の村は大幅に無くなり、現在ではこの豊根村と、飛島村の2つを数えるのみとなりました

深い山林に囲まれた豊根村は、いかにもな日本の山村ですが、もう1つの村、飛島村はちょっと事情が違います

この飛島村、所在地としては、名古屋市の西隣に隣接する村

とは言え、名古屋市南西部は、他所から来た人が見たら、絶対名古屋市内とは信じないような広大な田園地帯

当然飛島村も、名古屋港を形成する臨海部を除いては、だだっ広い田畑が広がっています

この飛島村は、主に江戸時代に海を埋め立てて作られた新田なんですが、いくつもの河川の河口にあたるため、この地方のお約束とも言える水害に悩まされ続け、離村する人も絶えない貧しい村でした

明治以降もそれは変わらず、県内で最も貧しい村の1つでした
特に伊勢湾台風の時には、数ヶ月に渡って水が引かず、当時の村は、近隣自治体に合併を申し出ましたが、あまりの貧しさにどこも手を差し伸べるコトはありませんでした

トコロが昭和40年代後半になって、県が名古屋港の拡張および臨海地区の開発や企業誘致を進めると、様相は一変

大企業が数多く進出し、今では日本で最も豊かな村の1つとなりました

平成の大合併の際には、恵まれた税収をアテにして近隣自治体から合併の申し出が数多くあったようですが、コレをことごとく断り、愛知県西部唯一の村として自立しています

豊かな税収を手放したくないと言う思いもあったでしょうが、苦しい時に手を差し伸べてくれなかった隣人達への、厳しいしっぺ返しもあったんでしょうね…

かつては林業とダム建設で栄えた豊根村と、苦しい時に誰の助けも得られず村民の力で乗り越えてきた飛島村

現在の豊根村は、多くの問題を抱えていますが、美しい自然がたくさん残されてます

この小さな村に暮らす人達が、将来に渡って心豊かであることを願います

茶臼山を走って、色んな意味で好対称な村を思うぽち太でした