「信じる」がわかった時



「信じる」事がどういう事なのか

分からないループにハマっていた



自分が誰かを信じたいと思う気持ちは

本物なのかなんなのか


時々

「真っ直ぐに信じよう」


そう思えるのに


時々

「信じていてもしょうがない」

「何も変わらない」



そんな思いにかられた



けどいつの時か



信じようが

信じまいが



どっちでも良い気がしてきた



そう言う感情が湧いたって

全部自分から湧き出てくる感情なんだから

その思いを持ってたって良いんだ



そう思えた



日曜日の朝

目に映った

一冊の本を手に取った



さとうみつろうさんの

「神様とのおしゃべり」だ



かなり前に買って全部読んだけど

内容はほぼ忘れてる



みつろうさんと神様の

会話のやり取りが面白くて



またそのうち読もうと思って

本棚に置いておいたんだ



パラっと開いたそのページに



「信じる」事の意味が書いてあった



この世にある物も人も

全てが自分



よく聞くけど

どう言う事なのかピンと来てなかった



目の前の苦手な人も自分??

通り過ぎただけのおじさんも自分??

猫も犬も自分??

テレビもシャンプーも自分??



どう言う事???



その時の私は

現実に映るものは全てが自分と

繋がっているなんて到底思えなかった



思おうと思っても

腑に落ちてないから

(いやいやいや…意味わからん😅)

となっていた



けど何となく

スッと腑に落ちた感じがした



もし

自分の目の前にいる全く知らない人が

自分と繋がっている自分



だとしたら



私はこの人にどんな思いを持つかな

どんな風に接するかな

どんな言葉をかけるかな



この手に持ってる傘が自分なら

どん風に扱うかな

傘だけど

それが自分なら

「雨で濡れないようにしてくれて

ありがとう」って

言われたら嬉しいなぁ

とか思って



じゃぁ



ツインレイの彼が自分ならどうなのかな

「私なら大丈夫!乗り越えられるよ!」

って強く信じるだろうな



「それで良いんだよ、間違ってないよ

その道でいいんだよ」

って背中を押すだろうな



「私はずっと愛してるから心配せずに

自分の事に向き合って!」

って成長を見守るだろうな



ツインレイの彼の事を

信じて待つだろうな



私は

私の目の前の現実と全て繋がっているのなら

その全てを信じるだろうなと思った



自分を扱うように

優しく丁寧に愛を持って接するだろうな



きっと


ツインレイの彼だけでなく

その家族に対しても



「毎日パパを癒してくれてありがとう」



「あなたが支えてくれるから

彼が毎日家族の為に頑張ってくれるんだね」



「美味しいご飯を毎日作ってくれてありがとう」



そんな風に声をかけるんだろうな



声はかけられなくても

そう言う思いを持てたよ



彼に対しても

もちろん目に映る現実も



私と全てが繋がっているのなら

もっともっと自分を愛でる様に



大切にしたい



彼を信じるって事は

自分の事を信じてるのと同じ事



それは

自分が自分にどんな言葉をかけて欲しいか

自分が自分にどんな風に接して欲しいか



自分が全てを決める事が出来るんだ



だから

私は私というツインレイの彼を



ずっと信じるし信じてる



それで良いんだって

思えた