「生と死」


なぜ人はいつか必ず死ぬのに

産まれ、そして生きるのか



生きる目的は?

何のために生きるの?

なぜ人は死ぬの?

なぜいつ死ぬか分からないの?

なぜ自殺をしちゃいけないの?

死んだらどうなるの?



この事を考える人や

直面する人

向き合う人

疑問に感じる人

は多いのではないかと思う



沢山の本やSNSの投稿

自分が亡くなった事がないので

どれが正解かなんて分からないけど



今ここに向き合わされる自分がいるから

ブログにあげようと思う



前回のブログではツインレイ彼との

再会をし

これが統合なのか…?

と思っていたが



その後

「まだ統合じゃない、もう1ステージある」

となぜか頭に浮かんだ

(まだあるんかいっっ!!笑)



それは彼と再会し1ヶ月経たないくらいの

ある日の朝



目が覚めた瞬間


広島の原爆ドームが頭に浮かんだ


(行かなきゃ…この時が来た…)


そう思った



私はそのまま旅行会社へ行き

広島までの航空券とホテルの予約を済ました



(この時が来た)

なぜそう思ったのかと言うと


私は子供の頃から


「戦争の夢」


を頻繁に見ていた

大人になった今も…


いつも同じ夢で


原爆らしきものが上から落ちてきて

光った瞬間

自分の体の中から

細胞がどんどん消えて亡くなる


夢か…と思って寝ると

また見て

死ぬ瞬間に起きる


と言う夢だ


そのせいなのか

戦争のアニメ

蛍の墓やはだしのゲン


映画やニュース


YouTubeなどの動画


見たくないのに見させられると言うか

(自分が見てるんだけどね)

体は拒否をするものの



目が逸らせなくなる



自分が戦争を体験した訳じゃないのに

とてつもない喪失感や恐怖

死を前にすると言う事

生きたいが生きれないと言う事



色んな思いが溢れてくる



小学生の時の夏

テレビではだしのゲンを見て



原爆の恐ろしさを知ったのと同時に

(これ私が夢で見てるのと似てるな…)

と感じた



原爆ドームが今も尚残っているのなら


資料館へ行き

戦争、原爆の悲惨さを見に行かないと


子供の頃からそう思っていたのと

まるでそれは使命の様にすら感じていた



そう思っていたが



とてもじゃないが恐怖が上回って

行くのが怖い…


そうやって先延ばしにしてきていた


そうしたらこの歳になった


広島行きを決めてから

1ヶ月半の間


私は

「もう1ステージある」

の意味が分かってきた様な気がした


それは


「生と死」


に向き合う事


今までも人の死に多く関わってきている自分は

(介護の仕事上でもそうだが)


関わる人の



「死にたい…」

「生きたい…」



を身近に感じてきた


それは広島行きを決めてから

さらに加速する事になった



「なんか最近

人の生とか死とかに

すごい向き合わされるんだよね」



と職場の人に話した何日か後



親友から連絡が来ていた


かけ直すと泣いていた


どうしたのか聞くと


「ガンが見つかってリンパに転移してる」

「死にたくないよ」


と言った


私はそうい事か…と

全てを受け取り


ただただ親友の話に耳を傾けた

しばらく話をして切った



ステージ3のガン宣告を受けた親友



今の自分に何が出来るのか

ひたすら考えた


会いに行って一緒に考えた


死というものを身近に感じた時

きっと人は恐怖を感じ

受け入れる事が出来ない人の方が多いだろう



死は誰にでも平等に訪れる



だけど誰も今すぐ死ぬとは思ってないだろうし

自分は変わらずいつまでも生き

親や兄弟、子供、友達、好きな人…

ずっと自分と共に生きていく



そんな感覚があるのかもしれない



けど

生きていると言うことは

いつかは必ず死ぬ事でもある



自分の生き方、在り方はこれで良かったのかと

振り返り

他人や何かに振り回されていた人生を

悔いたり

やりたかった事をやっとけば良かったとか

もっと人に、自分に優しく生きれば良かったとか

仕事にばかり時間を使って

家族との時間をもっと大切にすればよかったとか



きっとその時に気づくものなんだろうな



私は今広島に向かう途中だ

資料館を見てどう感じるのか



生きたいのに生きる事が出来なかった方

生き残った方のその後



「命の大切さ」を胸に刻んでくる



そしてこの瞬間も自分は生きているからこそ

今を大切に悔いなく1秒を過ごしていく