戊辰戦争の激戦がわかる、
上野・寛永寺にあった【黒門】。
【明治の黒門】
【現在の黒門】
弾痕が生々しく残ります…
上野の黒門が移転していると聞いたとき、
私は“あれ?上野公園にあったような…”と思ったのですが、
調べたら、だいぶ前のようですが黒門の復元したものがあったそうです。
子供のころ、
父にこれ本物だよ~って言われて、
私がエッ
ってなったら、
嘘だよ~っ
て会話した覚えが
脅された記憶があったのは間違いではなかったみたい
しょーもない
しかし、明治の頃の黒門とは違いだいぶ綺麗になっているから
円通寺の黒門はほとんど修復されてるんじゃないかな、と思います。
何故、円通寺に黒門を移転したのか?
上野戦争後、円通寺の和尚“佛麿”という人物が
彰義隊の戦死者の屍がそのまま放置されているのを見かね、
弔いをしたことによるらしい。
この件もなかなか大変だったそうで、
和尚は新政府軍に捕われたりしたけど、
三河屋幸三郎からの助けもあり無事供養できたそう。
ちなみに三河屋幸三郎はただの商人であるが、
横浜での貿易で資産家となったらしく、
彰義隊に肩入れしていたそうで、侠気のある人物だったらしい。
上野戦争の戦いを描いた錦絵です。
黒門付近は旧幕府軍と新政府軍とでは武器がほぼ同じ?
刀槍が多く見られます。
しかし、黒門の弾痕を見ると小銃器の使用がわかるので、
本当の戦いでの使われ方はこの絵ではわかりません。
実際の戦いはどうだったのでしょうか…
薩摩軍が先ず銃器使用して後退させて⇒黒門を突破するために接近戦の刀槍による攻撃…しようとしたのかな?
まぁ、考えてもわかりません
降参ですよ
そして、広重も黒門を描いています。
【上野晩鐘】
わかりづらいので拡大すると…
↓
黒門付近は江戸名所だったようですね。
いまでは黒門=上野戦争というイメージですが。。。
そして、本日1/27は
鳥羽伏見の闘いが始まった日とされています。