こんにちは、あいですニコニコ

 

 

先日、旦那さんの

お兄さんのおうちに

アフタヌーンティで

お呼ばれしてきました。



結婚した当時は、

旦那さんとその家族は

遺産相続問題で

揉めて離散した

ということがあり、



旦那さんは

辛い日々を送っていて、

そんな中で

私達は知り合ったという

経緯がありました。

 

 

結婚してからは、

私も積極的に義理家族に

接するようにし



8年後の今は

お互いをおうちに

こうして呼び合ったり、

一週間、二週間に

一度は電話で

話し合う仲に

戻ることが出来ました。

 

 

車で50分ほどのところ

に住む彼らのお宅に、

恒例スウィーツを持ち寄り、

コーヒーを

淹れてもらって

お互いの近況報告。

楽しく過ごして、

帰宅しました。

 


マグパイに餌をあげる

旦那さんの兄ラブリーだわラブ

 



さて、今日の本題

 

 

留学体験・私の場合

 

私がイギリス留学を

決めた理由は、

26歳だったその当時

手術室ナースとして、

大きなオペに携わり


 

 

これからの

看護師として

自分の可能性とは?

ちょっとその辺で

迷子になっていました。


若手の私は

色々悩んだんですね。



それに、

難しい手術手技を

使ったオペに入り、

これから後、

何が学べるのかな、

と思ったわけです。

 

若気の至り

I’m King of the world!! 筋肉



で、

 

海外地球

 

というのが

頭に浮かんだのです。



外国人の先生が

うちの病院に

留学して来てて、

その先生たちと

全くコミュニケーションが

取れなかったので

 

 

それがイヤだった

というのがありました。

 

 

そんな理由から

日本を飛び出て、

海外生活をすることに

したのでした。


 

世界の一番端まで。

 

せっかく行くなら

日本人のいないとこ。

アメリカはいやだったので、

イギリス、という単純思考で

リサーチを始めました。

その当時は

ネットはなかったので

本屋さんで

雑誌などを探しまくり、

留学エージェントを見つけ、

面接してもらい、

色々決めて行きました。

 

 

イギリスは大好きだった先生が

ひいきにしていた国で、

色々話を聴いていたので

全然ひるみもせずに速攻決めました。

 




最初はロンドンで

ホームステイ、

そこから

北アイルランドでの

ボランティアです。

 

そこでの体験は、

今でも鮮明に記憶する

私の青春そのものでした。

 

 


アイルランド時代


留学で得たもの


英語だけの

コミュニケーションで

なかなか言いたいことが

伝わらずに

もどかしい思いを

する中でも


良い友人に出逢い、

寝るのも惜しんで話をし、

辞書を片手に

喧嘩もしました。

 


アジア人でも、

同じアジア人ということで、

価値観が

似ている点もあれば、

全く異なる点も

ありますから

毎日が驚きで、

良い刺激を受けます。


 

ヨーロッパ人は、

古い彼らの文化のなかで

オシャレな古着

などの服装


フランス人の

自分軸な生き方


イタリア人の

身振り手振りの大きな

感情の豊かな話し方


ドイツ人の生真面目さ


自分は自分

人は人。


みんな違ってみんないい

By 金子みすゞ


本当に勉強になりました。

 

 




そんな環境のおかげで、

日本以外の文化、言語、

コミュニケーションの

方法を学べたのが

とにかく大きな

大きな収穫でした。

 


英語が話せないからこそ

真のコミュニケーションが

図れた、と思う時も

たくさんありました。

 




バックパッカーをしながら

独りヨーロッパを

廻っていた時は

 


次の日は

どの国に行くか、

をまず決めて

電車の駅に

行って行き方を聞く、

 


切符を買って

その時間になるまで

小さな町での

お昼ごはんで

レストランに

入ってみる。

 


 ワインを一本赤ワイン

開けてみる。



ユースホステルで

出逢った同じような

バックパッカーたちと

どこに行った、

ここは良かったよ、などど

情報交換をしながら

一緒に最寄りの国まで

旅をしたことも

ありました。

 

 




イタリアの

フィレンツェで

独り公園の階段に座って

1日時間つぶしをする。

その時に聴いていた曲は

今でもソラで覚えている。

くっきりと覚えている、

色や匂い、

満ち満ちるエネルギー。



 

石畳の美しい

街並みを歩きながら

その当時は、

まだお金持ちだった

日本人たちが

 


日本語を話しながら

いそいそとブランドの

お店から出てくる。

それを横目に、

 




自分がここで、

もしお腹でも痛くなって

倒れても野垂れ死んでも、

ここには

誰も私を知る人が

いないのだな。

という、



究極の孤独と

とてつもない自由を

感じながら

一人歩いたことは

忘れもしません。

 

 




また、クリスマスの

近くなった寒いある日の夜

ドイツの

シュトゥットガルトの

道の片隅で

寒そうに肩をすくめながら

一人美しい声で歌う

Don’t cry for me Argentina 




切ないアカペラを

聴きながら

私の人生は

これからどこへ

向かうのかと

思い、人知れず

泣いたこと。

 

 

ボランティア

留学期間中に

知り合った、

7つも下の

ドイツ人の男の子に

恋をしたこと。

 

 

彼に会うために

バックパッカー中も

3回ドイツに行った。



お互い大好きだった。



いつも一緒に居て、

牧草の中で

一晩語り明かしたり

月明かりしかない夜

二人で二時間もかけて 

パブから歩いて帰ったね。

家着きたくなくて

二人、何度も何度も

立ち止まりながら

終わらない話を

つたない英語で伝えあった。



二人で写る写真には、

恥ずかしくて

傍に寄れない

ナイーブで

照れた笑顔が

愛しい彼が居る。

 


日本に帰ってしまう私は

彼との時間に、

素直になることが出来ず

二人きりで

連れて行ってもらった、

彼の両親の、

山の中にある

すごく素敵な

コテージでも


可愛くなれずに

切ない夜を過ごした、

最後の夜を

私は一生忘れない。



 

バックパッカー

旅行を終え、

オランダの空港から

帰国するとき

彼に電話して、

もう会えないのかと

彼が泣いた。


また会えるよと、

言えなかった。



飛行機の中で

大号泣する私に

スチュワーデスさんが

温かい濡れタオルを

持ってきて

慰めてくれながら



切ない別れを

してきたのね、と

背中をさすって

くれたこと。

 


あれからもう

20年以上たった。

何度かくれた

彼からの手紙

 

返事をする

勇気さえない

バカだった私

 

そのうち

彼からの連絡も

いつしか途絶えた。

 

 

 

絶対に忘れないよ

 


留学・ワーホリというのは

本当にプライスレスです。

 


すべての経験が

自分の人生の中で

輝くダイヤモンドとなり、

自信へとつながり、

自分が気が付かなくても、

大きく成長できる

時間なんですね。

 

 

あなたの人生の中でも

【今しかない】

というタイミングが

きっと訪れます。

 


勇気を出してみよう。

大きな一歩を

踏み出して良かった!!

そんな風にきっといつか、

思うことでしょう。

 

留学して良かったこと、その他


「コミュニケーション力

の高さ」というのは

「英語が流ちょうに

話せる」ことでは

必ずしもないんですね。

 

自分と全く異なる

文化で生きてきて、

全く異なる視点と言語で

日本ではない、 

世界の人たちとの交流では

相手の意図を

くみ取ろうとする力、

そして要点を把握しながら

自分の意見を入れてく力

が最も大切なんです。

 


自分の意見を述べるのには、

私達は、

苦手意識がありますね。

さまざまな国出身の

人々と出逢うことで

自分の考えを

口に出して相手に

伝えるのは当たり前

ということを学び、

ひるむことなく、

自分なりの意見やアイデアを

発信してもいいのだ

と学ぶ。

 


人の意見は

それぞれであって良く、

そこには

正解も不正解もない

と学ぶので

留学後は

意思表示をするのには

躊躇することは

なくなるでしょう。

 

まさにこれこそが

グローバル化だと思います。

 

 




そして、そんな

素晴らしい学びの中にある、

一期一会の出会い、

笑顔と涙、

あなたにしか刻めない、

あなただけの思い出が

出来るのは

間違いありません。

 

 

ワーホリ、留学は殆どが

一生に一度のチャンスです。

タイミングを活かし、

チャンスの神様の前髪を

しっかりとつかんで

いきたいものです。

 


おわり飛び出すハート