「意識」の反対語・対義語は「無意識」である。
…と答えたアナタ!
アナタは「凡人」です!

反対語・対義語を聞かれて
「無」「非」「不」の「接頭語」を付けて、
分かった気になっている人は、
そこで「思考停止」しているのです。

しかし、「意識」という言葉は多義語であり、
「複数の意味」で使われます。

例えば「意識がある」と「意識する」では「意識」の意味が違います。
 

よって、すべての意味での「反対語・対義語」を
定義することは出来ません。

しかし、それでは「答え」にならないので、
「ある意味」での
「意識」の「反対語・対義語」について述べます。

ずばり
意識」の「反対語・対義語」は「直観(勘)」です。

誤解を恐れずに例えます。

「脳」は「一種のコンピュータ」と言うことができます。
「問題(情報)」が入力されると「答え」を出力します。

その時「意識せず」に「答え」を出すことを、
「直観」または「勘(かん)」と呼ぶのです。

刑事の勘」とは
「理由は分からないが、コイツが犯人に違いない。」
と思う事です。

『真相は耳の中』の刑事・今井譲治の「勘」は
「ことごとく外れ」てしまいます。(笑)

一方、城塚翡翠は「殺人現場」を一目見ただけで
「犯人」が分かってしまいます。

翡翠の場合は「霊感(勘)」ではありません。
論理的「推理」なのです。
「推理」は「意識」できるのです。

一方「勘(直観)」は、自分がなぜそう思うのか、
「意識」することが出来ないのです。

「後付け」で理由を説明することなら出来ますが…

 

【追記】

まあ、大部分の人には「納得いかない」と思います。
私自身、納得していませんから(笑)

説明不足なので、捕捉します。

さて、デカルトの「われ思う、故に我あり」
(仏: Je pense, donc je suis)
の「思う」は「考える」の意味に近いと思います。

人間は、生活の大部分を「無意識に行動」しています。

例えば「歩く時」
「まず、右足を出して、次に左足を出そう」と
「思って」歩いている人はいません。

普通、「起きている間は、ずっと意識がある。」
と、思っている人が多いと思いますが、
それは「頭の中で、声に出さない『ひとり言』」を
ずっと「喋っている」ことを指しているのです。

この「声に出さない『ひとり言』」を「意識」だと「仮定」すると、
「意識」は「脳」の「アウトプット」を
「脳」に「再入力(フィードバック)」する
という機能があるのです。

これが「考える(意識)」の意味なのです。

だから、「意識」の反対語は「考えない(直観)」なのです。


【追記2】

ところで、「考えるだけ」なら機械(コンピュータ)にも出来ます。
「意識」を「考える」と定義してしまうと、

「機械にも意識がある」ことになってしまいます。

もう一度、デカルトに登場してもらうと「われ思う、故に我あり」
つまり「われ思う」が意識なのです。

「われ」とは「自意識」のことです。
「自分を認識する」必要があるのです。

さて、機械(コンピュータ)は「自分を認識できる」のでしょうか?
結論から言えば出来ません

インターネットに繋がったコンピュータは、

どこまでが「自分」なんのでしょう?


そもそも、どこからどこまでが「自分」なのでしょう?
生物としての人間でさえ「自分」を「厳密に定義」できません。

例えてみましょう

コップの中の「水」は自分でしょうか?
その「水」を飲んで、胃の中の「水」は自分でしょうか?
 

腸から吸収され血管の中の「水」は自分でしょうか?
もし、血管の中の「水」が自分だとすると、
血管の中の「ウイルス」は自分なのでしょうか?
細胞の中に入った「水」が自分だとすると、
細胞の中の「ウイルス」は自分なのでしょうか?

自分の「爪」は「自分」でしょうか?
自分の「髪」は「自分」でしょうか?
「爪」や「髪」は「切った途端」に
「自分」でなくなるのでしょうか?

人体の70%~80%は「水」と言われています。
「オシッコ」になって体外に出た途端に、
「自分」でなくなるのでしょうか?

話がズレましたが、
自分とは自分であるという感覚に過ぎないのです。



【追記3】

さて、ルネ・デカルト(仏: René Descartes)三回目の登場です。
彼はフランス生まれで、合理主義哲学の祖として知られています。

彼は人間を、
・精神(心・魂)
・身体(物質)
という2つの要素から成り立っていると考えました。
これがデカルトの「物心二元論」です。

「意識」や「思考」は「精神」が担っていると考えたのです。

しかし、現代の科学者(物理主義者・唯物論者)は「一元論」です。
全ての現象は「物」に還元できると信じているのです。

その「現代科学者」の頭を悩ましているのが
意識のハード・プロブレムです。

 

 

物質および電気的・化学的反応の集合体である脳から、
どのようにして主観的な意識体験(現象意識、クオリア
というものが生まれるのかという問題です。

意識のむずかしい問題、意識の難問とも訳されています。
ハードプロブレムは現在の物理学の範囲内では
解決不可能とされています。


結局、意識」の反対語・対義語は「物質なのです。