~自己意識~
 
「自己意識」とは、いろいろな意味や解釈がある言葉であるが、
このブログでは、「自己」と「他者」を区別できること。…と定義したい。
 
そんなの「当たり前」で議論の余地が無い。と思われるかもしれないが、
本当は「難しい」問題なのだ!
 
「ヒト」の場合、日常的に「自分」と「他人」を区別しているが、
海に棲む「ヒトデ」はどうだろう。
 
 ヒトデ類は再生能力が高いことでも有名である。
 腕の一本ぐらいは簡単に再生する。
 種によっては腕をつかむと簡単に自切する。
 
 また、真っ二つになっても再生し、その場合には2匹になる。
 また、常時分裂を行って無性生殖しているものもある。

 
真っ二つになった「2匹のヒトデ」はどっちが「自己」なのだろう。
 
 桜の枝を切って地面に突き刺すと、上手くいけば「挿し木」になる。
 
この場合、新たな「挿し木」は「自己」なのだろうか?
 
 ヒトの体の中の「免疫細胞」は体内に入ってきた「他者」を攻撃する。
 しかし、自分の体を攻撃する「自己免疫疾患」という病気がある。

 
人間は「脳」で「自己」と「他者」を区別する以前に「細胞レベル」で区別している…
どうですか、けっこう難しい問題でしょ?
 
 
結局、「自己」と「他者」を「科学的に定義(区別)する」のは不可能である。
「善」と「悪」も定義できない。「敵」と「味方」も定義できない。
「自己」とは、ヒトの「脳」が便宜的に作り出した「仮想現実=脳内現実」である。
 
逆に、脳内(仮想現実・脳内現実)でなら、日常的に、何の苦も無く、
「自己」「他者」・「善」「悪」・「敵」「味方」を区別できる。
 
これで議論が始められる。かな?
 
 
◆記憶喪失
 
「ここは何処?私は誰?」
「記憶喪失」は「自己に関する記憶にアクセスできない状態」と定義できる。
 
しかし、「私は誰?」と問うているのだから、「私」を認識できている。
この場合の「私」は「自己」である。「自己」に関する「記憶」は無いのに…
 
つまり「自己」とは「自己に関する記憶ではない」事が分かる。
「自己」とは、自分の「体」のことである。
 
◆自分の体
 
「この世界」はノーベル物理学賞の朝永振一郎が云う「物理世界」から
「電磁波・音波・化学物質」等の「アナログ情報・ケミカル情報」を
感覚器官により取得して「脳内」に再構築された「仮想現実」である。
 
一方、「自分の体」とは「肉体からの情報」(神経・ホルモン等)によって
「脳内」に作られた「仮想現実」すなわち「アバター」である。

「肉体」から「モーションキャプチャ」のようにして、本物と「寸分たがわず」動く

「脳内の自分の体」を「自己」と認識しているのである。

(ちょっと解りづらいかな?)
 
◆感情とは
 
「感情」とは「腹が減った」「喉が渇いた」などの「身体感覚」の一種である。
 
怒り」を「腹が立つ」「はらわたが煮えくり返る」「頭に血が上る」などの
身体感覚として表現するのは、単なる「比喩」では無く、
アドレナリン」が分泌された時の、まさに「身体の感覚」だからである。
その身体感覚(感情)は「脳」によって「解釈」されるのである。

(あっ俺いま怒ってる!…と感じる)
 
「脳」によって「解釈」されない「怒り」もある。
(カッとなって、殺してしまった。何が何だか分からなかった)
 
ちょっと、論点がずれてしまったかな、今日はこの辺で…