自閉症アラジンくんのブログで



こだわり崩しについて書いてあり、



そうだよな〜大事だよな、と。



療育園に通っていた時、



園から帰る時に



門を出てすぐの道路に



小さな魚などが居る用水路があり



子ども達が流れる水を眺めていた。



いつのまにか、ママさん達も立ち話がてら



立ち止まる習慣がついてた。



いざ、今日はすぐに帰りたい!という時、



帰ろう!と促しても



言うことを聞かないし



走って遠くまで逃げてた。



ぽん太の場合は



①用水路を眺めることが毎日の習慣になるかもしれない



②昨日はOKだったのに今日はNGは混乱する



③親の都合に合わせられるようになって欲しい



と思っていたので



用水路の横を歩きながら



「魚いるねぇ」と



覗きながら手を引いて



サッと車に乗せて帰宅してた。



そのママさん達は、



子どものやりたい事に合わせて



とことん付き合ってあげてて



すごいなって思ってた。



私は私のペースを乱されるのが辛かったから



ダメな母親だなって思ってたアセアセ



こだわりなのか、ワガママなのかって



見極めがすごく難しい。



感覚過敏等で、そうじゃないと死ぬほどツラい事=こだわりなのかな?って私はぼんやり思っていたけど



話せない子だと、なぜ泣くのか、パニックになるのかってその都度ただ推測するしかないから、



すごく対応が大変だと思う。



せっかちな私は



ぽん太が癇癪を起こさない様に



好き勝手に満足いくまでやらせる事は



出来なかった。



車での道順が違うと癇癪を起こすって言ってるママさんもいたし



実際に、ぽん太もそうだった。



コッチ!コッチ!イオン!って言う感じで



自分の行きたい場所を泣いて訴えてた。



今日は通りません。行きません。



で、それでも癇癪を起こしたら



帰りますって言って、帰宅してた。



親主導で予定が決まる事を当たり前にしたくて。



AとBどっちが良い?という選択肢は与えるけれど



AとBという選択肢を決めるのは親。



思い通りにいかない事にも慣れてほしくて。



癇癪が怖くて



子どものやりたい様に、



子ども主導で暮らしていたら



ワガママがこだわりになってしまうのかな。



子どものやりたい事を気長に待てる親って、すごく素敵だと思うけど



成長するにつれて、親は年老いて子どもに合わせて動くのも体力に限界がくる。



こだわり崩しって、早ければ早いほど良いのだろうか?



でも親主導では、子どもの主体性が低くなってしまわないか?



ぽん太は割と予定変更しても、平気な方だ。

〇〇しないの?行かないの?って何回も聞いてきてしつこいけど(笑)



親としてはその後、代替案を出すけど…



子どものペースに合わせる親になるか、



親のペースに合わせられる子どもに育てるか。



どっちがいいのかなもやもや



何が言いたいのかわからなくなった(笑)



さて今日は、長男も登校した。



帰宅したら、すぐにオヤツ、



公園にいって軽く運動させようと思う。



これも届いたから、家に居る時はつけさせよう。


ダイソーで握力鍛えるやつも買った(笑)

室内用に縄跳びも買った。




長男の肉体改造計画、始動物申す



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