代表の笹原です。
なんで商店街で実務的な事をやろうと思ったか?を書きましたが、その続きです。
>>商店街の未来は
色々やろうとみんなメラメラと燃えてました。
会次第も配って、集まって、昼間に夜間にと。
長い時には5時間、6時間の会議。
決まらない会議って言うのをこの時初めて経験しました。
それぞれ決めてこないから、そこで話し合って、意見を出し合う。
そして意見相違で、どうするっていう最終決定を決める人が居ない。
代表者が決まってるのに。
みんな平等だったのです。決める事も。
なんで最初の段階で会長をやらなかったか?
それは商店街の代表者は雑務係だったからです。
それまでは。
役員報酬もなく。取ってもいいっていわれてたけど、取れる予算もなく、取れる雰囲気でもない。
文章作って、代表者が配って回り。各店を。
作業の振り分けを頼んでも、忙しい。一言で終わり。
針のむしろ。そんな感じの商店街会長。
会社の社長みたいに判断して決めるって事が出来ない。
だから逃げました。
やりたくなかった。
会長職は
雑務係
だったのです。
そうこうしながらみんなイライラが募り、それぞれに集まって不満をぶつけ合う始末。
どう思ってる???やったけど、疲れる。
店が売れていかない。
会議も沢山やって、イベントも沢山して労力使って準備して、集客も今まで一番!
でも苦しい、会議も沢山やったのに!
一生懸命やってる、若手が頑張ってる商店街!
そんなキャッチフレーズをつけられるくらいまちづくりってものを精一杯やってるのに。
もう憤りも半端なく溜まって、愚痴の嵐。
誰を責めても決めるのは平等。
何事も決めれないスパイラル。
抜けれない砂地獄。
そうこうするうちに3年の月日が経ってました。